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1.序幕(2)
「はい。これで、七不思議は、おしまい」
父親が話し終えると、幼い子どもは声を上げた。
「え! ちょっとまって。ななふしぎ、だよね。7つ、ないよ。6つじゃないか」
小さな手を折って、数え上げる。
1.動く銅像
2.光るタイル画
3.オーケストラのベンチ
4.歩く洋服
5.手が出てくる噴水
6.帰れない螺旋階段
「そう、7つないんだよ。お父さんが小学生の頃は、貴婦人の噴水は、まだなかったんだ。だから、その七不思議は無かったな」
「じゃあ、5つになっちゃうじゃないか!」
幼子が、唇を尖らせた。
片手を突き出して言う。
思わず、父親から笑みが零れた。
「そうそう。それ、俺もおじいちゃんに聞いたよ」
あれは、何歳ごろだっただろう。
「代わりに、別の七不思議のお話が伝わっていたんだ。俺の子どものときは、屏風だった。当時の和室に置いてあって。それが、鏡みたいに自分の姿を映すって」
子どもは、離した手を、また繋いできた。
数えるのは止めにしたらしい。
「びょうぶ……って、なに?」
「うん。そこから説明しないといけないか」
どうせ図書館に連れて行くところだ。
この西センターの、四階フロアーにある。
「じゃあ、子供向けの百科事典を見てみよう。写真やイラストとかも、沢山載ってるから」
この幼子も、もう少し成長すれば、自分と同じように理解するだろう。
西センターの七不思議は、時代と共に変わってきたのだと。
父親の顔が、少し翳った。
その時には、この小さな紅葉みたいな手は、大きく育っている。
繋いだ手は、離れていく……。
年若い父親は、息子の細い手首を見遣って、思いを馳せた。
いったい、どれだけ先の未来だろう?
年配者に尋ねる場合は、「西センター」じゃ、ピンとこない。
「西公民館」の七不思議、と言ったほうが通りがよい。
なんでも、芸術に造詣が深かった地主が土地を寄贈して、文化活動に寄与する公民館を建てたのが始まりなんだそうだ。
「そうだな。おじいちゃんは、西公民館ができたときから知ってるが。ベンチと噴水の話は、なかったぞ。当時は、安っぽいパイプ椅子だったからな」
尋ねたのは、あのとき幼児だった男の子だ。
今や、眼鏡の賢そうな少年である。
手首に、青緑色の玉を連ねたブレスレットを嵌めていた。
この年頃の子にしては、ちょっと渋いチョイスだ。
「やっぱり」
間違いない。
七不思議は、新陳代謝を繰り返しているんだ。
「じゃあ、西公民館の七不思議も、やっぱり7つなかったの?」
「いいや。あるだろ、七つ目」
おじいちゃんは、茶目っ気たっぷりに切り返した。
孫にも、このネタを披露できる日がきて、嬉しそうである。
「七不思議なのに、七つ揃わない。それが、七番目だ」
そんな落語みたいなオチがつく。
それが、西センターの七不思議である。
ところが、最近、変化が訪れた。
建物の老朽化対策と、耐震工事の必要性から、大規模なリニューアル工事が行われたのだ。
綺麗に、そして頑丈に生まれ変わった西センターは、更なる進化を遂げていた。
館内の至るところに、電子案内板を設置したのだ。
一見、ただの大きなテレビだが、パソコンに近い。タッチパネルで、情報を検索することができるのだ。
館内施設の案内。催事情報。区役所の諸手続きから、地域の病院まで調べることができる。
しかも、複数言語対応の優れ物だ。
だが、オープン前の今になって、区の担当者は悩んでいた。
電子案内板、かあ。
あまり馴染みがない名称だよな。
「デジタルサイネージ」とも言うらしい。
リーフレットには、どう載せたものだろう。
公共施設としては、幅広い年齢層に通用する呼称が望ましい。
そうだ、家族にも聞いてみるか。
妻と娘。30代女性と小学生女児は、なんと答えるだろう。
案外、二人とも、デジタルサイネージで、すんなり通るかな……。
おっと、そろそろ退庁時刻だ。
腕時計を確認すると、とっくに過ぎていた。
西センターのエントランスホールには、自分以外、誰もいない。
ガラス越しの外は、もう暗かった。
そろそろ、帰らないと。
同僚は、8階でオープンセレモニーの準備をしている。
そっちにも、声をかけたほうがいいな。
あれ?
映像が流れていた。
白鳥像の横に設置した、電子案内板の画面だ。
区の担当者は、首を傾げた。
こんなプログラム、あったっけか。
バレリーナが、踊っていた。
背景はない。音声もない。
真っ暗な画面の中、ただ一人、真っ白なチュチュを翻して舞っている。
近寄って見ようとして、ぎくりと気付いた。
なんで点いている。
主電源は、切っていた筈だ。
しかも、これだけ離れているんだぞ。
もし電源が入っていたとしても、センサーが反応する距離に、自分はいない。
はっと、見上げた。
壁面に設置してある、大画面のサイネージだ。
同じ映像が、大きく映し出されていた。
無音の中、バレリーナが舞い踊っている。
可憐な衣裳も、トウシューズを履いた足も、映像とは思えないほどリアルだ。
さすがは、予算の相当割合をぶち込んだ、最高級のスクリーンである。
まるで、巨大な少女が、中に閉じ込められているかのようだ。
男は、呆然と見上げた。
バレリーナの顔が、ないのだ。
目も口も鼻も……なんにもない。
「のっぺらぼうだ……」