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1.〔挿話〕寒くなってきたら、湯豆腐(2)
裸足の足が、ぺたぺた音を立てた。
寝巻替わりのトレーニングウエアー姿だ。
大柄な伯父が着ているのは、ネットでしか売っていない特大サイズである。
狭い部屋にいると、さらに大男に見えてしまう。錯視効果だ。
「もう晩飯かあ」
のんびり、伸びをする。
鍛え上げられた迫力満点の外見に反して、穏やかな物言いである。
小柄な妻の方が、しゃきしゃき言った。
「あなた、顔くらい洗ってきて」
「あ、そうか。ごめん」
「あら、碧ちゃん、ちょっと火を弱めてちょうだい。強すぎるわ」
「うわ! そうか、ごめん」
「桃、唐揚げの取り皿、テーブルに出して。陽、みんなのご飯、よそって」
矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
実奈子伯母さんの腕が、ラストスパートをかけた。さながら千手観音だ。
テーブルの真ん中にカセットコンロを置いてしまうと、残りの空き地は、ぐっと狭くなる。
食事に必要無い物は、とりあえず床に追いやって、ようやく人数分の皿を並べることができた。
「こっちも、もうキチキチだなあ」
テーブルに着いた鉄郎伯父さんが、向かいに座った子ども達を見て、苦笑する。
大人たちは一人掛けの椅子だが、そっちはベンチの腰掛けなのだ。
ちょん・ちょん・ちょん
と、余裕で三人並んでいたのは、昔の話だ。
一人、育ちすぎた真ん中の陽が、座面の大半を占めている。
遠からず、両端の碧と桃が、転げ落ちるだろう。
「そうね、そろそろ椅子を買わないと」
エプロン姿の実奈子伯母さんも、席に着く。
土鍋の中の豆腐が、ゆらゆら揺れ出した。
完璧なタイミングだ。
「はい、それでは皆さん、ご一緒に」
「いただきま~す」
「はい、召し上がれ」
父が号令を掛け、皆で挨拶し、母が答える。
三ツ矢家ルーティンだ。
父不在の場合は、適当に誰かが発しているそうである。
陽の手が、白い豆腐を掬って、小皿に入れた。
早くも二つ目だ。
ちょん、と赤い紅葉おろし。緑色の分葱に、鰹節も乗っける。
立ち上る湯気に、ふわふわと鰹節が揺らぐ。
踊っているみたいだ。
「あれ? 絹ごし豆腐だ、これ」
三ツ矢家は、いつも木綿豆腐オンリーだ。
母親は、お玉で土鍋の中を整えながら答えた。
「両方入れたのよ。鍋の右側が木綿で、左側が絹ごしね。碧ちゃん、絹ごしの方が好きって言ってたでしょ。左から取ってね」
「あれ? 俺、今、右から取ったんだけどなあ。絹だった」
「領空侵犯だな。気を付けろ、陽」
右側が木綿。
左側が絹か。
碧は、伯母に頷きながら、あの時のことを思い出していた。
西センターから迷い込んだ、豪華絢爛な地下の宮殿。
様々な質問に答えてくれる案内板は、鏡の縁に付いた、ピエロのお面だった。
顔は、真っ二つに塗り分けられていた。
右側が白。左側が青。
丸い土鍋が、案内板の顔に重なる。
何だったんだろう、あれは……。
暴風に吹き飛ばされそうな状況だったけれど、見間違えてはいないと思う。
あの時だけ、境目が、ずれていた。
そうだ。青が、広くなっていたんだ。
何か、意味がある気がする。
でも、分からない……。
「なあ、碧」
呼びかけられて、ようやく碧は我に返った。
土鍋の向こうから、鉄郎伯父さんが自分を見つめていた。
普段とは違う、引き締まった表情だ。
「何があった? 陽に聞いたらな、碧と約束したから話せないって言うんだ」
おいこら、陽!
碧は、横に座る陽を無言で睨みつけた。
真っ正直にも、ほどがあるだろう。
それじゃ、「何かありました」と自白しているに等しい。
唐揚げを頬張った陽は、もごもごしながら、目じりを下げた。
ごめん、碧。
顔で会話する息子たちを見て、実奈子伯母さんも、気遣わし気な表情を浮かべていた。
いつも忙しなく動く手が、止まっている。
伯母夫妻は、黙って碧の返答を待っている。
話を聞く構えを、きちんと取っていた。
本気で心配してくれているんだ。
どうしよう。さらに、碧は動揺した。
本当の事を打ち明けちゃおうか。
この二人なら、絶対に笑ったりなんてしない。
だって、俺は知ってる。
陽が、「ポケモンを見つけたから、ゲットしに行く」と言い張った時のことも。
桃が、「毎朝、ベランダから足音が聞こえる」と怯えた時のことも。
二人とも、きちんと幼子の拙い主張を聞き届けてから、判明に力を尽くしたのだ。
結局。陽のポケモンは、脱走したペットのフェレットだった。
桃ちゃんのは、カラスが犯人。産卵期で、巣の候補地を探し、うろうろしていたらしい。
他だって、いろいろ知ってる。
伯母夫妻に対する信頼の糸は、何本も縒り合わされ、太くて丈夫なロープになっていた。
土鍋の中を見る。
わざわざ自分の為に加えられた絹ごし豆腐が、温かな昆布出汁の中で揺れていた。
この人たちを心配させたくない。
嘘もつきたくないし、ごまかしたくもない。
大丈夫。もう、あそこに行くことはない。
そうだ。行かなければ、もう、危ないことはないんだから。
碧は、考えた末に切り出した。
「えっと、ごめん。俺も、話していいことなのか、判断がつかないんだ」
嘘じゃないことは、きっと伝わる。
「だけど、もう終わったことだから。同じことは、もう起きないと思う。だから心配しないで」
「また起きる可能性は残っている、ってことか?」
もう起きない。碧は、そう言わなかった。
起きないと思う、だ。
男親は、そこを突いてきた。
「分かんないけど……。そうだな、可能性としては、あるかな。でも、俺はもう行かないよ。暁も行かせない」
ポロッと出た。
夫妻は、目を見合わせた。
暁の名前が出るとは思わなかったのだ。
碧は、馬鹿なことは絶対にしない。
三ツ矢家では、絶対の信用を得ている。
陽が嘘をつかないのと同じ、SSランク付けだ。
だが、頭がいい分、頑固な面がある。
正直言って、これだけでは、何がなんだか分からない。
でも、碧は喋らないと決めている模様だ。
「そうか、分かった。じゃあな、もしまた碧や暁ちゃんが困ったことになったとしたら、陽に手助けさせてやってくれよ」
あっさり、鉄郎伯父さんが退いた。
実奈子伯母さんも、優しい顔で頷く。
え、いいの?
もっと追及されると思った。
驚いている碧に、陽が微笑む。
信頼されているんだ。
それが分かった瞬間、碧は顔を輝かせて、しっかり頷いた。
笑うと、まだ幼い。母親の愛ちゃんに、よく似ている。とっても可愛い。
でも、切れる頭と頑固な性格は、亡くなった父親にそっくりだ。
夫妻の見解は、完全に一致していた。
「ほら、食べましょ。湯豆腐が煮詰まっちゃうわ」
「もう火を落としてもいいんじゃないかあ?」
「あ、俺やる。消すときはスイッチ回すだけでいいの?」
賑やかなテーブルで。
桃だけは、黙って、じっと碧の顔を見つめていた。
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