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13.増殖(1)
裁縫部屋に戻った碧と陽は、しばし言葉を失った。
予想以上の地獄絵図だ。
「ちょっと、暁! 布地はチェコの目印通りに切って頂戴って、何度も言ったでしょ。どうして、こんなに斜めになっちゃうの?」
マダム・チュウ+999は、心底呆れた様子だ。
作業机に広げた布地の上で、溜息をつく。
ピンク色のネズミが、ピンク色の上に立っている。保護色状態だ。
いや。正確には、ピンクじゃなかった。
ローズ・ドゥ・パリだっけ。
全然、区別がつかない。
「あー。ごめんなさい。なんか違うなあって思ったんだけど、ざーってハサミでいっちゃって」
心から済まなそうに、暁が謝る。
間髪入れずに、セピア色のペラペラ人間が、悲鳴を上げた。
「やだ! 暁、ここのミシンは、ここまで縫えば良かったのよ。端まで縫っちゃダメだったのに」
みかげは、透明フィルムみたいな体を捻って、暁にチュチュのパーツを突き出した。
ミシンの椅子に座っているのだが、実際には薄い体をカクカク折り曲げて乗っけた状態だ。
眉を顰めて文句を言う表情が、くっきりと見
えた。
さっきよりも、セピアの色目が濃くなっている。
碧は、ちょっと目を見張った。
あれ?
体も、さっきより分厚くなってるな。
「あっ、そうか。ごめん、みかげちゃん。ミシン踏んだら、だーって行っちゃったから」
顔を上げて、また暁が謝る。
じゃきん!
その瞬間、手にしたハサミが、勝手に布地を裁ち切っていた。
「ちょっと暁! 目印の内側を切っちゃったじゃない! これじゃあ使えないわよ」
今度は、マダム・チュウ+999が目を剥く。
机の上に、残骸の山が積まれている。
このような過程を繰り返して築かれた模様だ。
「ごめんなさい、つい切っちゃった」
さらに標高が増した。
年季の入った針山。あめ色に使い込まれた物差し。ちびたチェコ。
作業机の上に置かれているのは、どれもプロ仕様の裁縫道具だ。
壁際に置かれたミシンときたら、美術品のようなアンティークだった。
でも、みかげは、ペラペラな身でありながら、ちゃんとそれで縫っている。
道具は完璧だ。
使いこなせていないのは、主に暁側の問題だろう。
「ああ……ここも縫い込んじゃってる。目打ちで縫い目を解かないと」
「あ、やるよ、みかげちゃん! ええと、どうやるの?」
みかげとマダム・チュウ+999の目には、目打ちを構えた暁が、凶器を携えた殺人犯に映った。
これ以上、犠牲を出すわけにはいかない。
勢いのあまり、必要なところまで解くのがおちだ。
「暁、あと10分くらいで、案内板が直るって」
陽が、気を取り直して、明るく割って入った。
隣で、碧は、内心たじろいでいた。
怖い。げっそりした視線が、二本、突き刺さってくる。
……なんで俺を見てるんだ?
特に、ネズミの目ときたら、獲物を狙う鷹よりも鋭い。
びしっ!
マダム・チュウ+999が、碧を指した。
ターゲット・ロックオン。
そして、きっぱり宣言した。
「チェンジで!」
「えーっ、俺?!」
仰天している間に、ピンク色のネズミは、ちょろちょろと碧の肩に乗ってきた。
凄みのあるオネエ声が、耳元で吐き出される。
「碧、こうなるって分かってたわね」
「いや、そんな」
口では否定しながらも、碧の顔が笑っている。
幼馴染の碧が、知らないわけはない。
全人類の中で、一番、洋裁に向いていない人間。それが暁だ。
先月、小学校で開催された作品展でも、それが立証されたばかりだ。
5年生の展示は、生活科で作成した「手提げ袋」だった。
使用するキット教材には、必要な材料が全て入っている。
布地には、あらかじめ縫う場所がプリントされている周到さだ。
難易度は、可能な限り低く抑えられている。
それなのに、一体全体、どうしてこうなった!?
教材キットメーカーの開発担当者が、そう叫びたくなる仕上がりの物体が、西小作品展に一つ展示されていた。
手提げもできなくて、袋状でもない代物だ。
「手提げ袋」の範疇を、完全に逸脱していた。
ちなみに、何も知らない祖母が、溺愛する孫娘の学校行事を見に来ると言い出したから、たまらない。
暁の母親は、滝のような冷や汗を流したそうである。
結局、季節外れの台風が来襲したおかげで、大阪からの新幹線が運休になってしまい、事なきを得た。
暁親子の念が呼び寄せたのかもしれない。
「来年、どないしよ~。また台風を召喚せにゃならん」
「えーと、大丈夫だよ。来年は、作品展じゃなくて、学芸会。劇をやるんだって」
「そうなの? 碧、なんで知ってるの?」
「……暁、先生が何度も言ってただろ」
「よっしゃあ! 逃げ切りセーフや!」
先日、暁の家に遊びに行った時、そんな会話をしたばかりだ。
来年は6年生。めでたく卒業である。
ずぼ
怒りに燃えたネズミは、いきなり、碧の襟元からパーカー内部に侵入した。
「ちょ、ちょっと!」
「ええい! 天誅~っ」
一喝すると、マダム・チュウ+999は、超高速で洋服の内側を這い回り始めた。
「うわ、待って。くすぐったい! わかった、わかった、悪かったって、あ、あはははは!」
身をよじって、碧は大笑いした。
問答無用の、くすぐりの刑だ。
謝っても、マダム・チュウ+999は、全然止まろうとしない。
とうとう、碧が音を上げた。
「わかったってば! 俺が手伝うよ。案内板が直るまで。それでいいだろ」
ぴょこ
ピンクネズミが、襟ぐりから顔を出した。
そして、にんまり笑った。
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