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13.再起動(1)
「暁、つかまれ!」
ばさり ばさり
巨大白鳥は、羽ばたきながら言った。
ばきっ ばきっ
凍り付いた湖面の割れ目から、畳状の氷塊が次々に飛び出してくる。でかい。
まともにくらったら、一巻の終わりだ。
こっちに来る。
氷の畳は、まるで乱暴に立てかけるように、右に左に飛び出してくる。
どっちに逃げる?
スワンの脚は、さっきの着地のせいで、びりびり痺れていた。素早く走れそうにはない。
迷っている暇は、なかった。
腕なら動く。
だったら、上だ!
何度か羽ばたいた後、暁を乗せた白鳥は、飛び上がった。
ほとんど助走無し。筋肉に任せた力技だ。
凄まじい音を立てて、氷塊が下から襲い掛かって来る。
躱した。
そのまま上昇する。
暁は、言われた通り、しっかりと輪を握っていた。
きゃあきゃあ悲鳴を上げる玉ではない。
だが、さすがに呆然と呟いた。
「すごい、飛んでる……」
眼下に、氷塊の道があった。
シュプールを描いて、氷の彫刻が並んでいる。
侵攻は、止まった様子だ。
「暁でよかった……」
下で見ていた碧と陽は、思わずハモった。
これが桃だったら、ついていけずに、落下していたかもしれない。
碧自身だって、そうだ。自信が無い。
「暁!」
桃が、上に向かって叫んだ。
巨大な白鳥は、悠々と宙を舞っている。
伸びた太い頸の根元に、金色の太い輪が光っているのが見えた。
暁が、その上に乗っている。
桃の声に気付いて、片手をぶんぶん振ってみせた。
桃の涙が、引っ込んだ。
すごい。私、絶対に、そんなことできない。
『暁!』
今度は、美しい声が名前を呼んだ。
オーロラだ。諸悪の根源である。
氷塊で出来た道の、終点に立っていた。
相変わらず、ありえないほどの美しさだ。
今日は、純白のクラシックチュチュ。
トウシューズも、合わせて白だ。
さながら、白鳥の化身が舞い降りたかのようである。
オーロラは、トウで立った。
氷塊の上である。普通、できない。
伸びをすると、飛んでいる暁に手を振った。
優雅きわまりない所作だ。
踊っているようにしか見えない。
「なんで、あんなところで踊ってるのかなあ」
陽が、素朴な疑問を呈した。
ごもっともだ。
「ほっとけ……」
低い声がした。
碧が笑顔になる。
「ド・ジョー! もう解凍した?」
「もうちょいだな。今、半解凍中だ」
パーシャルフリージング。お刺身の保存に最適な状態だ。
『暁……、受け取って』
声が聞こえた。何かを手にしている。
「あれ、オーロラなの?」
飛んでいる白鳥に乗った暁も、気付いた。
「あんな非常識なやつは、オーロラに決まってる」
そう吐き捨てる、筋肉一郎氏である。
ふわり
オーロラが、飛んだ。
人の形を取っているが、やはり人ではない。
グラン・ジュッテだ。
飛んだ両脚が、綺麗に開いた。
何もない空中に着地すると、また飛んで、やって来る。
微笑を浮かべたオーロラが、飛んでいる白鳥の横に付けた。
整い過ぎた美貌が、逆に怖い。
『暁』
ばさり
白鳥の翼が、力強く振り下ろされた。
何度も凍らされた恨みだ。全然構わずに、スワンは羽ばたき続ける。
ぶたれそうになって、オーロラが退いた。
でも、懲りずに、また近づいていく。
「なにやってるんだか」
碧が、呆れて肩をすくめた。
中空で、オーロラは、しつこく白鳥に纏わりついている。
まったくだ。
下から眺めている面々は、全員、深く頷いた。
筋肉一家は、うにょんと頸を曲げて、同意の意を示している。
だが、バレエの化身が空を踊りながらやって来ても、気にしないのが暁だ。
「なあに、オーロラ?」
『これをあげる』
オーロラが、暁に手を差し出した。
飛ぶ白鳥の鼻先に立ち、同じ速度を保って、バックで空中移動しているのだ。
化け物じみている。
「えっ、くれるの?」
オーロラは、頷くと、また微笑みかけた。
さすが、この地宮の太陽、核たる存在。
空恐ろしいほどの美貌である。
『あなたにあげる』
暁は、飛ぶ白鳥の鞍上から、片手を伸ばして受け取った。
小さい。手の平に乗っかる大きさだ。
それは、ティアラだった。
だが、王冠にしては、ずいぶんと小ぶりだ。
櫛が付いているから、バレエ用の髪飾りらしい。
黄金に、惜しげもなく宝石が散りばめられている。
こんなの、もらっていいのかな。
「どうもありがとう、オーロラ。でも、」
辞退しようとした暁に、バレエの女神様は頓着しないで宣った。
『たのしかったわ。またあそびましょう』
「遊んでたの?! あれ」
「もうお断りだぜ、オーロラ」
マッチョ・スワンズのリーダーが、代表して断った。断固とした口調だ。
ころころ ころころ
白鳥の鼻先で、オーロラが笑う。
女の人の笑い声ではない。また、鈴の音に戻っている。
みるみるうちに、暁の目の前で、オーロラの顔が変わっていった。
金色の球になる。大きな鈴だ。
手も、脚も、胴体も。小さな鈴の寄せ集めに戻っていく。
暁は、息をのんで見つめていた。
やっぱり、人じゃないんだ。
前回は、木のトルソーから生えてきた。
案内板も言ってた。オーロラは決まった形を持たないって。本当なんだ。
「おーらよっと!」
その時。
下から、気合を込めた掛け声と共に、水が勢いよく突き上げてきた。
ド・ジョーだ。無事、全解凍して、タイミングを伺っていたらしい。
直撃だった。狙いすました水の矢は、鈴の寄せ集めを散り散りに吹っ飛ばした。
ころころ ころころ
四散した鈴が、陽気に鳴った。
「おわっ」
マッチョ・スワンズのリーダーは、襲い掛かった水を慌てて避けた。間一髪だ。
「おい! 暁も乗っているんだぞ!」
ド・ジョー本人も、水の矢に乗っかって飛んで来ていた。
「余裕で避けてるじゃねえか。なに文句言ってやがる」
白鳥の鼻先で、せせら笑う。
やはり、マッチョ野郎に対する扱いは、ぞんざいだ。
ころころころ……
音だけが、かすかに聞こえた。
金色の鈴は、もう、ひとつも無い。
ひゅう~んっ
飛んできた金色の魚体が、凍り付いた湖面に落ちていく。
どぅんっ!
空気が震えるほどの衝撃音とともに、湖は水に戻った。
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