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14.ログイン(1)
ポーン
音を立てて、西センターのエレベーターが止まった。
扉が開く。
降りて来たのは、みかげであった。
ペラペラではない。普通の、人間の姿だ。
エレベーターホールには、他に誰もいない。
時は、少し遡る。
エレベーターを使って暁達を誘い込んだ、数時間前だ。
【西センター 休日診療所】
〔診療日:日曜・祝日・年末年始・お盆〕
ドアに掛かったプレートを、みかげは冷めた目で見遣った。
開いている日より、閉まってる日の方が多いってわけよね。
だから、好都合なんだけど。
合鍵を作るのも、簡単だった。
父親に休日当番医が回ってくる週を狙った。
数日前から、鍵の束が、リビングルームのテーブルに置きっぱなしにされるのだ。
ご丁寧に、どこの鍵だか記したタグまで付いていた。
丁寧な仕事をする医師会事務局と、ずぼらな父、双方に感謝だ。
かちゃり
差して回すだけで、あっさりと開いた。
暗証番号の設定も無い、ただのシンプルな鍵だ。防犯レベルは、最低ランクだろう。
そうっと室内に入る。
そして、すぐに内側からロックをかけた。
これで、誰も入って来れない。
楽勝だわ。
何回も使ってるけど、全然ばれてない。
待合室は、薄暗かった。
念のため、明かりは点けない。
この奥の診療室に入るには、さすがに警備会社のカードキーも必要だ。
でも、この待合室に入れるだけでいい。
みかげは、肩からトートバッグを下した。
好きなブランドの物ではないけど、ここのところ、愛用している。
「これ」を入れるには、ちょうどいいサイズだから。
恭しい手つきで、みかげは中身を取り出した。
ピエロのお面だった。
顔の右半分が白で、左半分が青。弧を描く口は、赤。
フランス国旗の3色、トリコロールだ。
大切な、「これ」。
最初は、父親のフランス土産かと思ったのだ。
帰国した翌朝、自分の部屋の机に置いてあったから。
あのとき。
「センス悪い。なんで、お面なの。わけわかんない」
ぶつくさ文句をたれながら、お面をひっくり返して。そして、何の気なしに、お面を顔に近づけてみたのだ。
ざあああっ……
風が巻き起こった気がした。
耳元が、急に冷たくなった。黒一色の裏側から、一瞬、冷気が迸ったように思えたのだ。
くり抜かれた目から見えた光景に、みかげは仰天した。
オペラ座だわ!
ガルニエ宮が見える!
間違いない。
憧れの場所だ。一度だけ、観光で訪れたことがある。そのときの記憶のままだった。
劇場の入り口。ホール。客席。図書室。
オペラ座の怪人で有名な、5番のボックス席。
すごい。
こんな仕掛けの玩具だったのね。
なんて、くっきり見えるんだろう。
本当に、ガルニエ宮にいるみたいだわ。
どんどん、違う場所が映し出されていく。
みかげは、夢中になった。
どこも、無人だった。
バレエのシーンとかは、ないのね。
ちょっと残念だったけど、結局、その日は、ずっとお面を覗き込んで過ごしてしまった。
時間なら、山ほどある。
学校は、ずっと行ってない。
最初のころは、先生の勧めで、礼拝にだけ出席したりしたけど、もう、そんな気にもならなかった。
父親に、お面のお礼を言おうと思っていたのだが、完全に機会を逸してしまった。
その日は、時差ボケで起きてこなかったし、翌朝には、もういなかった。
仕事の日じゃないのに、外出したという。
いいわ、もう。
いつだって、こんな感じなんだから。
娘が不登校になろうと、全然、構わないのね。
それからというもの。
みかげは、食事の時以外、自室に籠りっきりで、ピエロのお面を覗き込み続けた。
そして、次第に気付いた。
違う。
これは、ガルニエ宮じゃない。
時折、変な映像が混じるのだ。
豪華なバルコニーが連なる、超高層の宮殿。
地下深くに水を湛える湖。
巨大な筒に降りて行く、透明なエレベーター。
おとぎ話の中でしか、お目にかかれないような光景だ。
これが、父のお土産ではないことも分かった。
「みかげ、お土産のハチミツ、食べたか?」
朝の食卓で、父に聞かれた。頷くと、それきりだった。
あのお面がフランス土産ならば、こう続けたことだろう。
お前の机に置いておいたやつは、どうだ?
ちゃんと映ったか?
医者という職業柄か。父は、ずぼらなわりに、確認すべき事項を漏らすことはない。
頭の中に、順序良く並べているのだろう。
それを、順繰りに、ぽんぽん出してくる。
その父が、聞いてこない。
ということは、確実に違う。
父は、話もそこそこに、出掛けてしまった。
診療か学会か、単なる会合なのか。
まあ、そのうちのどれかだろう。
どうだっていいわ。
「これ」は、なんなんだろう?
そもそも、どうして、自分の部屋に置かれていたんだろう?
謎のまま、みかげはお面を使い続けた。
変わらずに、時間は、たっぷりあったから。
毎日、長時間見ていたからだろう。さすがに、目新しい映像は、見かけなくなっていた頃だ。
「えっ?」
みかげは、驚いてベッドから起き上がった。
顔に乗っけていたピエロのお面が、ずり落ちそうになって、慌てて手で押さえる。
自分だ。自分がいる。
オペラ座の舞台だった。
なぜか、ステージには大きな鏡が置かれていた。
何枚も、綺麗な弧を描くように、並べられている。
その前で、自分は踊っていた。
音は無いけれど、バレエを習っていた身だ。すぐに分かった。
オーロラ姫のバリエーションだ。
「どうして、私が?」
目を瞠るほど、豪華な衣装だ。
発表会でも、こんなのは着たことがない。
「いや、どうして、鏡に向かって踊ってるの?」
客席に、人はいない。赤い椅子が、静かに並んでいる。
だからって、背を向けて踊るのは、変だ。
やがて、ミスひとつ無く、踊りが終わった。
素晴らしい出来栄えだ。
お面から見える自分は、居並ぶ鏡に向かって、お辞儀をした。まるで、そっち側の方に、観客がいるかのように。
そして、真ん中の鏡に近づいていく。
広い鏡面に、チュチュを着た自分の全身が映し出された。
童話に出てきそうな、大きな姿見だ。
本物と見まごう蔓バラが、縁をぐるりと取り囲んでいる。
自分が、手を伸ばした。鏡の縁の、右下だ。
「ええっ?」
みかげは、とうとうベッドから立ち上がった。
お面を顔から外し、まじまじと見つめる。
「これと同じだわ」
どうして、お面が鏡の縁に付いているの?
読んで下さって、有難うございます!
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