ダンジョンズA 〔3〕嘆きの湖 (なげきのみずうみ)

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ポーン
音(おと)を立(た)てて、西(にし)センターのエレベーターが止(と)まった。
扉(とびら)が開(ひら)く。

降(お)りて来(き)たのは、みかげであった。
ペラペラではない。普通(ふつう)の、人間(にんげん)の姿(すがた)だ。
エレベーターホールには、他(ほか)に誰(だれ)もいない。

時(とき)は、少し遡(さかのぼ)る。
エレベーターを使(つか)って暁(あかつき)達(たち)を誘(さそ)い込(こ)んだ、数時間前(すうじかんまえ)だ。

【西(にし)センター 休日(きゅうじつ)診療所(しんりょうじょ)】
〔診療(しんりょう)日(び):日曜(にちよう)・祝日(しゅくじつ)・年末(ねんまつ)年始(ねんし)・お盆(ぼん)〕
ドアに掛(か)かったプレートを、みかげは冷(さ)めた目(め)で見遣(みや)った。

開(あ)いている日(ひ)より、閉(し)まってる日(ひ)の方(ほう)が多(おお)いってわけよね。
だから、好都合(こうつごう)なんだけど。

合鍵(あいかぎ)を作(つく)るのも、簡単(かんたん)だった。
父親(ちちおや)に休日(きゅうじつ)当番医(とうばんい)が回(まわ)ってくる週(しゅう)を狙(ねら)った。
数日前(すうじつまえ)から、鍵(かぎ)の束(たば)が、リビングルームのテーブルに置(お)きっぱなしにされるのだ。

ご丁寧(ていねい)に、どこの鍵(かぎ)だか記(しる)したタグまで付(つ)いていた。
丁寧(ていねい)な仕事(しごと)をする医師会(いしかい)事務局(じむきょく)と、ずぼらな父(ちち)、双方(そうほう)に感謝(かんしゃ)だ。

かちゃり
差(さ)して回(まわ)すだけで、あっさりと開(ひら)いた。
暗証(あんしょう)番号(ばんごう)の設定(せってい)も無(な)い、ただのシンプルな鍵(かぎ)だ。防犯(ぼうはん)レベルは、最低(さいてい)ランクだろう。

そうっと室内(しつない)に入(はい)る。
そして、すぐに内側(うちがわ)からロックをかけた。
これで、誰(だれ)も入(はい)って来(こ)れない。
楽勝(らくしょう)だわ。
何回(なんかい)も使(つか)ってるけど、全然(ぜんぜん)ばれてない。

待合室(まちあいしつ)は、薄暗(うすぐら)かった。
念(ねん)のため、明(あ)かりは点(つ)けない。
この奥(おく)の診療室(しんりょうしつ)に入(はい)るには、さすがに警備(けいび)会社(がいしゃ)のカードキーも必要(ひつよう)だ。
でも、この待合室(まちあいしつ)に入(はい)れるだけでいい。

みかげは、肩(かた)からトートバッグを下(おろ)した。
好(す)きなブランドの物(もの)ではないけど、ここのところ、愛用(あいよう)している。
「これ」を入(い)れるには、ちょうどいいサイズだから。

恭(うやうや)しい手(て)つきで、みかげは中身(なかみ)を取(と)り出(だ)した。

ピエロのお面(めん)だった。
顔(かお)の右(みぎ)半分(はんぶん)が白(しろ)で、左(ひだり)半分(はんぶん)が青(あお)。弧(こ)を描(えが)く口(くち)は、赤(あか)。
フランス国旗(こっき)の3色(しょく)、トリコロールだ。

大切(たいせつ)な、「これ」。
最初(さいしょ)は、父親(ちちおや)のフランス土(みや)産(げ)かと思(おも)ったのだ。
帰国(きこく)した翌朝(よくあさ)、自分(じぶん)の部屋(へや)の机(つくえ)に置(お)いてあったから。

あのとき。
「センス悪(わる)い。なんで、お面(めん)なの。わけわかんない」
ぶつくさ文句(もんく)をたれながら、お面(めん)をひっくり返(かえ)して。そして、何(なん)の気(き)なしに、お面(めん)を顔(かお)に近(ちか)づけてみたのだ。

ざあああっ……
風(かぜ)が巻(ま)き起(お)こった気(き)がした。
耳元(みみもと)が、急(きゅう)に冷(つめ)たくなった。黒(くろ)一色(いっしょく)の裏側(うらがわ)から、一瞬(いっしゅん)、冷気(れいき)が迸(ほとばし)ったように思(おも)えたのだ。
くり抜(ぬ)かれた目(め)から見(み)えた光景(こうけい)に、みかげは仰天(ぎょうてん)した。

オペラ座(ざ)だわ!
ガルニエ宮(きゅう)が見(み)える!

間違(まちが)いない。
憧(あこが)れの場所(ばしょ)だ。一度(いちど)だけ、観光(かんこう)で訪(おとず)れたことがある。そのときの記憶(きおく)のままだった。
劇場(げきじょう)の入(い)り口(ぐち)。ホール。客席(きゃくせき)。図書室(としょしつ)。
オペラ座(ざ)の怪人(かいじん)で有名(ゆうめい)な、5番(ばん)のボックス席(せき)。

すごい。
こんな仕掛(しか)けの玩(おも)具(ちゃ)だったのね。
なんて、くっきり見(み)えるんだろう。
本当(ほんとう)に、ガルニエ宮(きゅう)にいるみたいだわ。

どんどん、違(ちが)う場所(ばしょ)が映(うつ)し出(だ)されていく。
みかげは、夢中(むちゅう)になった。

どこも、無人(むじん)だった。
バレエのシーンとかは、ないのね。

ちょっと残念(ざんねん)だったけど、結局(けっきょく)、その日(ひ)は、ずっとお面(めん)を覗(のぞ)き込(こ)んで過(す)ごしてしまった。

時間(じかん)なら、山(やま)ほどある。
学校(がっこう)は、ずっと行(い)ってない。

最初(さいしょ)のころは、先生(せんせい)の勧(すす)めで、礼拝(れいはい)にだけ出席(しゅっせき)したりしたけど、もう、そんな気(き)にもならなかった。

父親(ちちおや)に、お面(めん)のお礼(れい)を言(い)おうと思(おも)っていたのだが、完全(かんぜん)に機会(きかい)を逸(いっ)してしまった。
その日(ひ)は、時差(じさ)ボケで起(お)きてこなかったし、翌朝(よくあさ)には、もういなかった。
仕事(しごと)の日(ひ)じゃないのに、外出(がいしゅつ)したという。

いいわ、もう。
いつだって、こんな感(かん)じなんだから。
娘(むすめ)が不登校(ふとうこう)になろうと、全然(ぜんぜん)、構(かま)わないのね。

それからというもの。
みかげは、食事(しょくじ)の時(とき)以外(いがい)、自室(じしつ)に籠(こも)りっきりで、ピエロのお面(めん)を覗(のぞ)き込(こ)み続(つづ)けた。

そして、次第(しだい)に気付(きづ)いた。
違(ちが)う。
これは、ガルニエ宮(きゅう)じゃない。

時折(ときおり)、変(へん)な映像(えいぞう)が混(ま)じるのだ。
豪華(ごうか)なバルコニーが連(つら)なる、超高層(ちょうこうそう)の宮殿(きゅうでん)。
地下(ちか)深(ふか)くに水(みず)を湛(たた)える湖(みずうみ)。
巨大(きょだい)な筒(つつ)に降(お)りて行(い)く、透明(とうめい)なエレベーター。
おとぎ話(ばなし)の中(なか)でしか、お目(め)にかかれないような光景(こうけい)だ。

これが、父(ちち)のお土産(みやげ)ではないことも分(わ)かった。
「みかげ、お土産(みやげ)のハチミツ、食(た)べたか?」
朝(あさ)の食卓(しょくたく)で、父(ちち)に聞(き)かれた。頷(うなず)くと、それきりだった。
あのお面(めん)がフランス土産(みやげ)ならば、こう続(つづ)けたことだろう。
お前(まえ)の机(つくえ)に置(お)いておいたやつは、どうだ?
ちゃんと映(うつ)ったか?

医者(いしゃ)という職業柄(しょくぎょうがら)か。父(ちち)は、ずぼらなわりに、確認(かくにん)すべき事項(じこう)を漏(も)らすことはない。
頭(あたま)の中(なか)に、順序(じゅんじょ)良(よ)く並(なら)べているのだろう。
それを、順繰(じゅんぐ)りに、ぽんぽん出(だ)してくる。

その父(ちち)が、聞(き)いてこない。
ということは、確実(かくじつ)に違(ちが)う。

父(ちち)は、話(はなし)もそこそこに、出掛(でか)けてしまった。
診療(しんりょう)か学会(がっかい)か、単(たん)なる会合(かいごう)なのか。
まあ、そのうちのどれかだろう。
どうだっていいわ。

「これ」は、なんなんだろう?
そもそも、どうして、自分(じぶん)の部屋(へや)に置(お)かれていたんだろう?
謎(なぞ)のまま、みかげはお面(めん)を使(つか)い続(つづ)けた。
変(か)わらずに、時間(じかん)は、たっぷりあったから。

毎日(まいにち)、長時間(ちょうじかん)見(み)ていたからだろう。さすがに、目新(めあたら)しい映像(えいぞう)は、見(み)かけなくなっていた頃(ころ)だ。

「えっ?」
みかげは、驚(おどろ)いてベッドから起(お)き上(あ)がった。
顔(かお)に乗(の)っけていたピエロのお面(めん)が、ずり落(お)ちそうになって、慌(あわ)てて手(て)で押(お)さえる。

自分(じぶん)だ。自分(じぶん)がいる。

オペラ座(ざ)の舞台(ぶたい)だった。
なぜか、ステージには大(おお)きな鏡(かがみ)が置(お)かれていた。
何枚(なんまい)も、綺麗(きれい)な弧(こ)を描(えが)くように、並(なら)べられている。

その前(まえ)で、自分(じぶん)は踊(おど)っていた。
音(おと)は無(な)いけれど、バレエを習(なら)っていた身(み)だ。すぐに分(わ)かった。
オーロラ姫(ひめ)のバリエーションだ。

「どうして、私(わたし)が?」
目(め)を瞠(みは)るほど、豪華(ごうか)な衣装(いしょう)だ。
発表会(はっぴょうかい)でも、こんなのは着(き)たことがない。

「いや、どうして、鏡(かがみ)に向(む)かって踊(おど)ってるの?」
客席(きゃくせき)に、人(ひと)はいない。赤(あか)い椅子(いす)が、静(しず)かに並(なら)んでいる。
だからって、背(せ)を向(む)けて踊(おど)るのは、変(へん)だ。

やがて、ミスひとつ無(な)く、踊(おど)りが終(お)わった。
素晴(すば)らしい出来(でき)栄(ば)えだ。
お面(めん)から見(み)える自分(じぶん)は、居並(いなら)ぶ鏡(かがみ)に向(む)かって、お辞儀(じぎ)をした。まるで、そっち側(がわ)の方(ほう)に、観客(かんきゃく)がいるかのように。

そして、真(ま)ん中(なか)の鏡(かがみ)に近(ちか)づいていく。

広(ひろ)い鏡面(きょうめん)に、チュチュを着(き)た自分(じぶん)の全身(ぜんしん)が映(うつ)し出(だ)された。
童話(どうわ)に出(で)てきそうな、大(おお)きな姿見(すがたみ)だ。
本物(ほんもの)と見(み)まごう蔓(つる)バラが、縁(ふち)をぐるりと取(と)り囲(かこ)んでいる。

自分(じぶん)が、手(て)を伸(の)ばした。鏡(かがみ)の縁(ふち)の、右下(みぎした)だ。

「ええっ?」
みかげは、とうとうベッドから立(た)ち上(あ)がった。
お面(めん)を顔(かお)から外(はず)し、まじまじと見(み)つめる。

「これと同(おな)じだわ」
どうして、お面(めん)が鏡(かがみ)の縁(ふち)に付(つ)いているの?

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