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14.ログイン(2)
ぺたんと、みかげはベッドに腰を下ろした。
再び、ピエロのお面に顔を当ててみる。
また見えた。やっぱり同じだ。
チュチュを着た自分は、鏡の縁に付いたお面に手を触れた。色が分かれている、ちょうど真ん中の辺りだ。
そして、すっと左側に指を払った。
さあっ……
お面の色が、白一色に塗り替わった。
まるで、スライドさせたみたいに。
ぱっ
唐突に、映像が変わった。
自分が立っている。
今度は、普段着だ。
周りには、背もたれの無いソファーが、いくつも並んでいた。何かの待合室みたいだ。
待って!
目の前にあるのは、西センターの電子案内板。
デジタルサイネージだわ!
みかげは、息を呑んだ。
お面を顔から外す。
そして、思わず話しかけていた。
「行けるの? あの世界に」
ピエロが微笑んでいる。
みかげは、頭の中で映像を反芻した。
さっきのは、「帰り方」というわけだろう。
だったら。
「行き方を教えて。お願い。私、あそこに行ってみたい」
みかげは、ベッドから立ち上がった。
どうしようもないほど、気持ちが逸った。
お面を顔に当てた。
だが、何も映らない。こんなの初めてだ。
ありきたりのお面のように、両目の穴からは、自分の部屋しか見えない。
どうして?
「お願い!」
みかげは、うろうろと室内を歩き回った。
お面を外しては、それに向かって懇願し、また付ける。
パステルカラーで揃えた可愛らしい部屋なのに、お嬢様がやってることは、ほとんど怪しげな儀式だ。
行きたい。映って。お願い。
ざあああっ……
突然。風が、みかげの長い髪を靡かせた。
翳したお面の内側から、冷気が噴き出してきたのだ。
見える!
映し出された。
そして、何もかも、一発で分かった。
そう。「これ」が鍵だったのね。
こうすれば、私は、この夢の世界に行くことができる。
すてき。なんて、すてきなの。
あそこで、踊れるなんて。
そう……。
最初は、確かに、そう思っていたのだ。
でも、今は違う。
踊るのが楽しいって、もう思えない。
ブンッ
休日診療所の待合室で、デジタルサイネージが起動音を立てた。
センサーが、前に立った少女を認識したのだ。
画面を縁どっている桜の花びらに、ピンク色の明かりが灯る。
画面右下に、キツネのお面。
案内役を務める、区のキャラクターだ。
『館内のご案内を致します。ご希望の階をタッチして下さい。音声によるご案内をご希望の場合は、』
可愛い声が、途中で、ぶった切られた。
みかげの指が、画面を操作したせいだ。
メニュー → 問合せ方法 → 文字入力
画面に、五十音とアルファベット、数字のキーが表示される。
みかげの細い指が、迷いなく画面を走った。
AARROU
『エイ・エイ・アール・アール・オウ・ユー』
読み上げてから、キツネのお面が答えた。
『該当のサービスは、ありません』
構わずに、また入力する。
AURROA
『エイ・ユー・アール・アール・オー・エイ……該当のサービスは、ありません』
もう一度。
AURRAO
『エイ・ユー・アール・アール・エイ・オー……該当のサービスは、ありません』
わざと、三回、間違えるのだ。
正しく入力するのは、その後でなければいけない。
AUROR……
みかげの指が、一瞬止まった。
そして最後は、
A
『エイ・ユー・アール・オー・アール・エイ……』
キツネの声が、止まった。
動いていた口も、笑顔のまま凍り付いている。
不具合だろうか。
だが、音声だけが、電子案内板から流れ出た。
案内ギツネとは違う声。
アナウンサーのように綺麗で、明瞭な発音。
『オーロラ』
それが合図だった。
カッ
電子案内板の画面が、まばゆい光を放った。
文字入力画面が、消し飛んだ。
代わりに、無数の桜の花びらが、画面に広がったのだ。
薄ピンク色だが、画像の輝きが強すぎて、ほとんど白に見えている。
スクリーンを飾る桜の縁飾りには、さっきまで、ピンク色の稼働ライトが灯っていた筈だ。
そっちの明かりは、消えている。
みかげは、左手に持ったお面を顔に付けた。
耳に掛ける紐は、後から自分で取り付けたものだ。
ざああっ……
この時、いつも感じるのは、冷たい風。
そして、ひたりと、お面が顔に吸い付く感触。
ぱあぁっ
画面の光が、変わった。
映し出された白い桜の花びらが、青く染まっていく。
全部ではない。いつも、ちょうど半分だ。
画面の右半分が白、左半分が青。
え?
半分じゃない。
4分の3くらいが、青だ。
みかげは、お面の下で驚いた顔をした。
くり抜かれた目の穴から、画面が見えている。
なんで、いつもと違うのかしら。
よく分からない。
まあ、そもそも、分からないことだらけだ。
構わず、お面を被ったみかげは、電子案内板の画面に触れた。
人差し指を、ゆっくりと右へ動かす。
ざああぁっ……
青が、白の領域を塗り潰していった。
今日は、最初から残りわずかだったから、あっという間だ。
スクリーンは、一面、青色になった。
青い花びらの海だ。
じっと見つめていると、それは、くちゃくちゃに丸まりだした。
形を作る。数字だ。
10
埋もれて消えた。
また浮かび上がる。違う形になって。
9
みかげは、突っ立ったまま、画面を見つめ続けた。
顔に着けたお面は、特に変わりはない。
青と白、半々に塗り分けられた顔は、赤い口で、ずっと笑っている。
8
7
6
もうすぐ。もうすぐだわ。
5
4
みかげの体は、ゆらゆらと揺れていた。
どんどん、意識が霞んでいく。
もう立っていられない。
みかげは、後ずさりして、どさりとベンチに腰掛けた。
それでも、画面を見続ける。
3
2
1
瞼が、勝手にシャッターを下ろした。
ふっ
上体が傾いだ。ゆっくりと倒れこんだ体を、ベンチの座面が受け止めた。
どさり
衝撃で、ピエロのお面が剥がれ落ちた。
ころころと、床を転げていく。
現れたみかげの顔も、微笑を浮かべていた。
私、こっちの世界で待ってるわ。
今日は、迎えに行くわね。
そして、ずっと一緒にいましょう。
ねえ、暁……。
大丈夫よ。やりかたは、全部、教えてもらったもの。
画面には、何の映像も映し出されていない。
電子案内板は、待合室のベンチに横たわる少女を、ただ青白く照らし出していた。
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