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16.暴風(2)
「地震? シャッフルかな?」
暁が、部屋を見渡す。
「違う、ほら」
陽が、指さした。揺れているのは、トルソーの布張りボディ部分だけだ。
にょきっ
突然、肩口の布を突き破って、両腕が生えてきた。
みんな、度肝を抜かれた。
平然としているのは、マダム・チュウ+999だけだ。
仰天している間に、木の棒で出来た一本足の支柱が、しゅるっと胴体に引っ込む。
三つ又に分かれた脚の部分も、全部だ。
にょきっ
代わりに、宙に浮かんだボディから、二本の足が生えてきた。木じゃない。人間の足だ。
ぽん!
最後に、頭が現れた。
もともと、トルソーの首には、小さな木の球が申し訳程度に付いていた。
それが、音を立てて膨らんだのだ。
全員が、声もなく見惚れた。
人の美貌を超えていた。
陶器人形も恥じらうほど、滑らかな肌。
青い瞳は、二粒の宝石。
頭の上で纏めた髪は、黄金色に輝いている。
まさに、オーロラ姫だ。
現れ出でた美女は、出来上がったチュチュを身に纏って、そこに立っていた。
はー……
溜息を漏らす子供たちを前に、バラ色の唇が、輝くような微笑の形を作る。
すっと、優美な肢体が動いた。
バレエのお辞儀、レヴェランス。
その仕草すら見事な踊りに見えてしまうほどの、洗練された動きだ。
きゅぽん
またもや唐突に、頭部が音を立てて首に吸い込まれた。
なまじ美しい顔だけに、ホラー極まりない。
ぎょっとした瞬間に、手足も引っ込んだ。
もう、いない。
胴体だけのマネキンが、チュチュを着せられて立っている。
ほんの数秒間のことだった。
「……あれが、オーロラ?」
暁が呟いた。そうとしか思えない。
隣に浮かんでいた案内板が、答えた。
『はい。素晴らしいチュチュなので、着てみたくなった、と言っていました』
まだ驚いた顔をしているみかげに、マダム・チュウ+999が笑いかけた。
「よかったわねえ、みかげ。あのオーロラが評価してくれたのよ。あなたの作ったチュチュは、素晴らしいって」
優しい声音だった。
心から喜んでくれている。
その思いが、伝わってくる。
「やったね、みかげちゃん!」
暁が、嬉しそうに声を上げると、ハイタッチを仕掛けてきた。
すかっ
見事なほどの空振りだ。
「うわっ」
勢いが付いていたから、止まらない。
暁は、みかげを押し倒して、床に倒れこんだ。
これじゃ、ただの体当たりだ。
「も~、何やってるんだよ、暁」
碧が呆れた顔で、団子になった二人を見下ろした。
「ごめん、みかげちゃん。ごめんね」
暁が、何度も謝りながら、みかげの上から退く。
陽が、みかげを助け起こした。
「大丈夫かあ?」
反射的に頷いたが、まだ、頭が追い付かない。
コトリ
心が動いた気がした。
ずっと、ずっと、ガッチガチに固まっていたのに。
「お前なあ、案内板まで、あっちに吹っ飛ばしたぞ」
「ええっ」
碧に言われて、暁は慌てて駆け寄った。
お面は、ちょうど鏡の前に浮かんでいた。
特に変わった様子はない。白と青に塗り分けられた顔は、当たり前だが無表情だ。
「ごめんね、案内板さん」
返事がない。
「クリティカルヒットだったよ。腕で、べしいっ、て」
隣に寄って来た碧が、溜息をついた。
「あっちゃあ……。じゃ、怒ってるのかな、案内板さん?」
「じゃなくて、また壊れてないといいけど」
「念のため、ド・ジョーのとこに持ってくかあ?」
陽も、みかげを置いて近寄ると、二人の会話に加わった。
仲がいいのね。
ぽんぽん、話を続ける三人の様子を、みかげは突っ立って見ていた。
空手教室の人たちって、こんな感じなのね。
バレエ教室とは、ぜんぜん雰囲気が違う。
こっちは、みんなライバル同士だもの。
仲良し小良し、してる場合じゃないわ。
かすかに。
ピエロの顔が、ぴくりと動いた。
誰も気づかない。
ブンッ
真っ黒な鏡面から、音が響いた。
起動音? 三人の視線が、鏡に集まる。
ぱっ
バレリーナが映し出された。
ピンクのポアントを履いて、華やかなチュチュを身に纏っている。
理想のプリマドンナを描いた、一幅の絵画のようだった。
巡る蔓バラが、天然素材の額縁だ。
ただし、ポーズも取らずに、ぼうっと棒立ちした姿だ。
そして、なによりも、顔がない。
のっぺらぼうのお化けだ。
碧の観察眼が、たちまち相違点を見抜いた。
「みかげの作ったチュチュになってる!」
間違いない。
今までは、真っ白なチュチュだった筈だ。
ばっと、三人が同時にトルソーを振り返った。
「ちゃんとあるよ、碧」
暁が口に出す。現物は、掛けられたままだ。
「どいて」
冷たい声に、三人は再び、はっとした。
みかげだ。人垣を構わずに突っ切ると、ふらふらと鏡に歩み寄る。
そうよ、私は、こうなりたかった。
鏡の向こうには、オーロラのチュチュを纏った少女が映っている。
思わず、手を伸ばした。
冷たいガラスの感触しか、しない。
ああ、なんて冷たいのかしら。
ずっとずっと、こうなりたかったのに。
他なんて、考えたくない。
いらない。いらない。いらない……
「みかげちゃん?!」
暁の声が、遠くに聞こえた。
自分の色彩が、どんどん抜け落ちていく。
時を止めた、切り花みたいに。
徐々に枯れて、茶色くなっていく。
薄くなっていく。
人の厚みを失えば、ただの絵と同じだ。
ペラペラの、中身が無い、ただ描かれた姿。
「だめよ、みかげ!」
かすかに、誰かが止める声を聞いた気がした。
キイ……
壁に打ち付けられた回し車が、動いた。
「なんだ?」
それまで黙って見守っていた陽が、低く唸った。
回し車が、ひとりでに回り出したのだ。
みかげは、もう見えない。
あっという間に極限まで薄くなると、視界から消えてしまった。
自分で、見えなくなれるんだ。
見ていた暁と碧が、同時に悟ったとき。
ゴオー
無人の回し車が、音を立てて加速した。
えっ?
轟音に、碧と暁も顔を向ける。
回し車が、暴走していた。
陽が、近づこうとしている。
なにこれ? どうして動いてるの?
碧と暁が尋ねる前に、回し車が生み出すのは轟音だけじゃなくなった。
ゴゴゴゴオー!
一瞬にして、風が巻き起こった。
「後ろに下がれ!」
陽が、大声を出した。
ぶわり
床に敷かれたコルクチップが、一斉に吹き上げられた。
茶色い渦を巻いて、部屋の中を飛び回る。
「あら、あら、あら~っ!」
狼狽えた叫び声が、背後から聞こえた。
振り返れば、ピンク色の小さな体が、作業机の上を滑っていく。
「マダム・チュ」
ゴゴゴオー!
暁の声が、ひときわ強い風音に掻き消された。
駆け寄ろうとした体も、途中で煽られる。
立っていられない。吹き飛ばされる!
「伏せろ!」
陽が、暁にタックルした。
碧も、すぐさま床に身を伏せた。
なんなんだ、この暴風は?
着ている服のフードが、風を含んでバサバサはためく。テルテル坊主状態だ。
ふわっ
碧の体が浮いた。
床から引き剥がされる!?
がっ
間髪入れずに、陽が右足を伸ばした。
暁を体の下に庇いつつ、碧の肩を片足で押さえ付ける。
でも、これだけじゃ、錘は不十分だ。
「こっちに、来い、碧!」
陽が、切れ切れに叫ぶ。
二人とも、自分の下に入れて庇う。
陽が、そう考えているのは分かる。
だが、なんて風圧だ。ほんの少しの距離なのに、なかなか体が進んでいかない。
「碧! こっち、いっしょ、捕まって」
暁も必死だ。片言になっている。
陽の下から、精一杯、右腕を伸ばしてくる。
碧も、懸命に手を伸ばした。
二本の腕が、強風に翻弄されながら、互いを求める。
ようやく、手が繋がった。
今だ。渾身の力を込めて、暁が碧を引き寄せる。
同時に、碧も力を振り絞って匍匐前進した。
幼馴染の呼吸は、ばっちりだ。
陽も、荒れ狂う嵐に晒されながら、無理やり動いた。
雛鳥二羽を、無事に体の下に収める。
成功だ。
ちょっと息をついて、碧は辺りを見渡した。
ゴゴゴオー……
部屋の中には、大型台風が居座っている。
床に敷きつめられていたコルクチップは、巻き上げられて、すっからかんだ。
自分達のスポーツバッグが三つ、むき出しの床に取り残されている。
待てよ。
どうして、これは飛んでいかないんだ?
揺れてすら、いないじゃないか。
碧は、伏せたまま、可能な限り目を配った。
トルソーもだ。ミシンも作業机も、微動だにしていない。
裁縫道具だって、作業机の上に置いてあった。
風に攫われて飛んでいる様子もない。
どうしてだ?
そもそも、風なんか起きていないみたいだ。
狂ったように、自分たちを掃き出さんばかりに、吹き荒れているというのに。
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