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17.爆走(2)
しかし、深刻な面持ちで考え込んでいるのは、碧だけだった。
逆境に強い幼馴染は、今回も、にこにこと断言した。
「大丈夫だよ、碧」
はとこ殿も、同様だった。
みんなのスポーツバッグを拾ってくると、碧にも手渡す。
自分も肩にかけると、のんびり言った。
「ああ、アクセスなら分かってるから、平気だ。この部屋の扉を、三回ノックしてから開けると、帰れるんだって」
「えっ?」
暁が声を上げた。きょとん、とする。
「私は、隣の箪笥部屋にあるバレエのバーで、前回りしたら帰れるって聞いたよ」
「案内板が、そう言ってたの?」
碧が、訝し気に問う。
二人とも頷いた。
「……なんで違うんだ?」
どんより重く、碧が呻く。
「とりあえず、両方試してみたら?」
暁と陽の声が、ハモった。軽い。明快だ。
思わず、碧は苦笑した。
この二人といると、悩んでいるのが本当に馬鹿馬鹿しくなってくる。
そうだな。ぐじぐじ考えてても、無駄だ。
まずは確認しよう。悩むのは、後でいい。
碧は、鏡に近づいた。
意を決して、浮かぶお面に声をかける。
「案内板、質問に答えられる?」
『……はい。ご質問をどうぞ』
「よかった~。壊れてない」
は~。碧の肩から、力が抜ける。
「ええと、同じ場所に行きたい場合でも、アクセスは同じじゃないってこと、ある?」
『はい。この地宮では、オートシャッフルなどを引き起こしている水のパワーで、刻々と状況が変化します。それに応じて、アクセスも変わってしまうのです』
碧の脳裏に、ド・ジョーの言葉が蘇った。
この夢の世界から現実の世界に帰る方法は、その都度変わる。
ここはな、決まった出口が無い迷路なんだ。
碧は、暁と陽に勢い込んで告げた。
「だからか! 二人とも合ってるんだよ。でも、そのアクセスは、もう使えないんだ」
あなた達、正確に聞かなくちゃダメなのよ。
マダム・チュウ+999は、これを伝えたかったんだ。
だとしたら、どう聞く?
ちょっと考えてから、碧は口を開いた。
「案内板、アクセスを案内して。ここから、西センター1階のエントランスホールまでだ。俺達は、今すぐそこに帰りたいんだ」
しばしの沈黙の後、ピエロのお面から、音声が流れ出た。
『ご案内します。現在、この階は西館の地下1階、つまりダンジョンの最上階になっています。ここから、向かいの東館地下100階まで、シューターで滑り降りて下さい。三人一緒にです。それがアクセスです』
さっきの二つとは、全く異なるアクセスだ。
「そっかあ。すごいね、碧!」
暁が、手放しで褒める。
陽も、碧を賛辞する基準は激甘だ。うんうん同意した。
思わずいい気になりかけて、碧は、はっと目を見開いた。
状況は変わるんだ。
変わったら、アクセスも変わってしまう。
口早に、碧は案内板に尋ねた。
「次のオートシャッフルは、いつ起こる? この階が地下1階なのは、あとどのくらい?」
今度のレスポンスは、早かった。
『ご案内します。オートシャッフルは、3分10秒後に起こります。この階は、次に地下21階になることが決定しています』
「そ、その時のアクセスは?」
どもった。ピエロのお面は、張り付いた笑顔で碧に答える。
『未確定です』
そして、付け加えた。
『アクセスは、無い場合もあります』
無慈悲極まる情報だ。
「行くぞ!」
陽が、すぐさま号令を発した。
大丈夫。全員、バッグは肩掛け済みだ。
床のコルクチップを蹴散らして、陽と碧が部屋を出て行く。
がくん
もちろん、暁も一緒に走り出そうとした。
なに? 走れない。
何かが、自分の体に巻き付いている。
振り返ると、フィルムのような体が、うっすらと見えた。
「みかげ、ちゃん?」
いたんだ、まだ。
「行かないで、暁。ねえ、このチュチュを着て」
声だけは、はっきりと耳元から聞こえてくる。
「ええと……ごめんね、みかげちゃん。素敵だけど、私は似合わないから、着たくないの」
「似合うわよ!! すっごく!!」
まあ、誰しもが、そう言うだろう。
かしまし雀も、確実に大喝采だ。
「いや、あの、もう帰らなきゃいけないから。離して?」
急がなきゃ。
暁は、ドアに向かおうとした。
でも、まだ、腕が絡みついているらしい。
進めない。
構わずに、みかげの声は言い募った。
「あなたの体型は、クラシックバレエ向きなのよ。頭が小さくて、手足が長い。可愛いんだし、バレエをやったらいいのに」
え?
これ、言われたことがある。
しかも、まったく同じセリフだ。
それに、この声……。
なんだか聞き覚えがあるような気がする。
「みかげちゃん、あの……私たち、どこかで会ったことある?」
ふっ
唐突に、束縛が解けた。
「みかげ、ちゃん?」
いない。
いや、いたとしても、見えない。
一方、外廊下では、陽と碧の身体能力差が、はっきり表れていた。
端っこにゴールした陽が、シューターの舵輪を引っ掴む。
そのとき、碧は、ようやく真ん中くらいの地点を走っていた。
「ド・ジョー! いるーっ?!」
万に一つの希望を込めて、ダッシュしながら叫ぶ。
広大な吹き抜けに、碧の声だけが吸い込まれていった。
眼下に連なっている手摺からは、水しぶきひとつ上がらない。
やっぱり。マダム・チュウ+999と一緒に、退場しちゃったんだ。
陽は、シューターの舵輪を握って構えると、一瞬ためらった。
赤く塗られたグリップは、目盛りの「1」を指している。
行先は100階。目盛りの「100」は、時計回りだと、ほぼ一回転だ。
でも、反時計回りなら。一目盛りだけだ。
どっちみち重たいのは、よく分かっている。
確か、反対回しの方が、力が要るんだった。
どのくらいだっけ。
なんて言ってた? あのとき、案内板は。
はい。反時計回りにも動かすことはできますが、10倍以上の力が必要です。
思い出した!
うん、無理だ。
時間は、あと何分か残ってる。確実な方だ!
「うおおおっ!」
喝を入れると同時に、陽は渾身の力で舵輪を回し始めた。
今こそ、筋トレの成果を発揮するときだ!
そこに、碧が飛びついてきた。
ハンドルの棒に体ごと乗っかって、全体重をかける。なりふりなんて構っていられない。
じりじりと、だが確実に、ハンドルが回った。
格闘する二人を、浮かんだお面が見下ろしていた。
いつの間に来たんだ?
舵輪に縋りつきながら、碧が叫んだ。
「案内板! オートシャッフルまで、残りの時間を教えて!」
『あと、2分5秒です』
「うおおおっ!!」
ひときわ気合を込めて、陽が舵輪を回した。
カチリ
100になった。
すかさず、碧が真ん中のスイッチを押す。
ボボボボ……
バ・バババ! バババッー!!
爆音と共に、宙に投げ出された赤い塊が、膨らんで滑り板になった。
やった、一丁上がりだ。
陽が、ひょいと手摺を乗り越えようとして、急に動きを止めた。
なんてことだ。
「暁がいない!」
「またかよ!」
慌てて、碧が裁縫部屋に戻ろうとする。
陽が押し留めた。
「碧は先に行け!」
「駄目だよ。三人同時に、だ」
それがアクセス。じゃないと帰れない。
「なら、碧は、すぐ滑れるようにスタンバイしてろ。俺が行った方が早い」
その時、暁の姿が外廊下に現れた。
「暁!」
碧が叫ぶ。なにやってたんだ、いったい?!
「走れ!」
陽の言葉を待たずに、暁は走っていた。
暁は、徒競走で一等以外になったことがない。
碧の知る限りだから、生まれてこの方、二足歩行ができるようになって以降だ。
いや。ハイハイだって、ぶっちぎりで速かった。母親達が、口を揃えて証言している。
その暁の、本気の走りだ。
碧ですら息を呑むほど、速かった。
たすき掛けにしたスポーツバッグも、まったく障害になっていない。
よし。
碧は、素早く手摺の隙間を潜った。
シューターの赤い滑り板に、座り込む。
案内板が、すうっと付いてきた。
そうだ、指示を出しておこう。
「残り時間を、秒で案内してくれ。0になるまでカウントし続けてほしいんだ。できる?」
『はい。カウントダウンを開始します。残り64秒、63、62、61、』
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