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3.深海(1)
どうも、おかしい。
螺旋階段を駆け下りていた三人から、徐々に笑い声が失われていった。
かなり下りた筈だ。
それなのに、一向に階段が終わらないのだ。
先頭の暁は、ようやく異変に気付いた。
目の前の階段は、見える限り、ぐるぐると続いている。
どうして?
西センターは、八階建てだ。
トレーニングルームは、その最上階だが、こんなに残りがあるなんて、あり得ない。
一階のエントランスホールが、まだ全然見えないなんて……。
さすがに、暴走列車の暁が、ペースを落とした。
後ろに付けていた碧が、やっと追いつく。
「暁、ちょっと待って」
碧は、暁の手を掴んで止めた。
こんな時は、言葉だけじゃ駄目なのだ。
すっ
最後尾だった陽が、一気に二人を追い越した。
暁と碧を遮るように、先頭に立つ。
陽は、落ち着いた声で、恐ろしいことを言った。
「ずっと、出口が無いみたいだ」
碧と暁は、顔を見合わせた。
そうだ。各フロアーに着いたところで、螺旋の壁側は、ぽっかりと開く。
踏板は無くなり、そこだけフラットな踊り場になるのだ。
それが、ない。
眼下には、ずうっと、等間隔で踏板が続いている。
「いったい、いつから……?」
呆然と呟く暁に、碧も首を横に振った。
自分も気が付かなかった。
みんな、はしゃいでいて、夢中だったのだ。
陽は、支柱側に寄った。
しゃがんで、踏板の透明部分から、先を見下ろしてみる。
「なんにも見えないなあ。暗くって」
辺りは薄暗くなっていた。
壁面と支柱は、鮮やかなブルーを映し出していたのに。
いつの間にだろう。常夏の海は、どんよりと暗く塗り潰されている。
ちらちら
薄闇の中に、なにか銀色が光った。
「うわ」
碧は、小さく声を上げた。
グロテスクな形の魚だ。
でかい頭。大きく裂けた口に、何本もの牙が、ガチガチ生えている。
それなのに、胴体は、しゅんと窄んでいた。
悪夢に出てくる、人魂の化身みたいだ。
碧の小さな悲鳴に、屈んでいた陽が立ち上がった。
ぽわ……
その目の前で、クラゲが光った。
何匹も何匹も、ゆらゆらと支柱スクリーンを昇って行く。
夜景を彩る、ネオンの煌めきを放ちながら。
暁が、息を呑んだ。
壁側スクリーンに、巨大なカニが姿を現したのだ。
脚が、えらく長い。全長は、優に人間を超えている。まさに怪物だ。
ゆっくり、折れ曲がった脚を蠢かして、ロボットのように歩いていく。
これは、いったい……。
三人は、螺旋階段の中で立ち尽くした。
仄暗い海の世界が、周り中に、音も無く映し出されていた。
そういえば、楽し気なBGMが流れていたのに、いつしか途切れている。
「こんなの、見たことないよ」
暁は、断言した。
一番しつこく通い詰めていたのが、自分なのだ。
「ああ。なんだか変な映像だよなあ」
陽が、首を傾げた。
光るクラゲは綺麗だが、大部分の生き物が、醜怪な見た目をしている。
総じて、おどろおどろしい。
一人、黙って考えていた碧が、おもむろに口を開いた。
「深海なんだ」
太陽の光が届かない程の、深い海の中。
暗く、水圧の高い、過酷な環境だ。
そこで生きるために、生物は独自の進化を遂げた。
ときに、びっくりするような見た目や、信じられない生態へと。
碧が、きちんと二人に説明してくれる。
横で聞きながら、暁は映像に見入った。
ものすごく、リアルだ。
カニのゴツゴツした赤い脚が、今にも掴めそうである。
つい、暁は壁面に手を伸ばした。
ポォーン
触れた瞬間、高い電子音が鳴り響いた。
反射的に、陽が動いた。
さっと割って入り、暁と碧を背中に庇って、丸く反り返った壁面を睨みつける。
タカアシガニ〔Japanese spider crab〕
甲殻類 クモガニ科
日本近海の深海に生息する、世界最大のカニ。
ぱっと、壁にウインドウが表示された。
説明書きだ。
「あれ? こんな機能、あったっけ」
陽の背後から、暁が身を乗り出した。
「なかったと思うけど……」
碧も、反対側の横っちょから顔を出す。
「うーん」
真ん中の陽が唸っている間に、表示は消えた。
実のところ、リニューアルオープンした当初は、タッチ機能が使えたのだ。
しかし、あまりにも乱打が多く、早々に停止されていた。
三人だけでなく、大多数の利用者は、それを知らない。
ふっと、前に立つ陽の体が緊張した。
「奥から何か来る」
本当だ。
それは、光の点だった。
どんどん大きく、はっきりとしてくる。
点じゃなくなった。細長く光る棒だ。
「近づいて来た」
碧が言ったときには、その姿が見て取れていた。
魚だ。
頭の天辺から、ひょろりと突起が生えている。
光っていたのは、これだ。
黒っぽい魚体は、暗い海の中に上手く紛れていた。
そのせいで、頭に備えた誘導灯しか見えなかったのだ。
ボールみたいに丸い体をした魚だ。
青白い光をちらつかせて、目の前で止まった。
暁が、すかさず手を伸ばして、壁面のスクリーンをタッチした。
チョウチンアンコウ〔Football fish〕
魚類 アンコウ目
頭部の光る突起で、餌を誘う深海魚。
「なんか、驚いた顔してるね」
暁の言う通りだった。
「もとから、そういう顔だった気がするけど」
碧が、図鑑で見た写真を思い起こす。
もともと笑顔の陽が、笑って言った。
「本当に驚いてたとしても、これじゃあ分からないなあ」
チョウチンアンコウ閣下は、三人の前を行ったり来たりした。
なんだか、検閲でもされているような様子だ。
「ひとまず、上に戻ろう。出口が、」
陽が、言いかけた時だった。
いきなり、チョウチンアンコウ氏が、変な動きを始めたのだ。
ぐるぐる ぐるぐる……
壁面に丸を描くように泳ぎ出す。
さっきまでの、ゆったりとした動きではない。
「……な、なんだろう?」
碧が、引き気味に呟いた。
気持ち悪い。魚の動きっぽくない。
「映像プログラムのミスかなあ」
のんきに、陽が評する。
チョウチンアンコウは、ぴたりと止まった。
真ん丸の目を、こっちに向ける。
やっぱり、すっとんきょうな顔だ。
そうして、筒状になっている画面を、ゆっくりと進み始めた。
ゆらゆらと、誘導灯の明かりが、壁面を伝っていく。
あ、またストップした。
慌てたようにUターンして、戻ってくる。
ぐるぐる ぐるぐる……
また、高速で円を描き出した。
ふう。溜息でも吐きそうな様子で、止まる。
そして、またもや壁面の画面を泳いで下りて行く。
「……おいでって、言ってるみたい」
じっと観察していた暁が、チョウチンアンコウを指さした。
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