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31.蛍の光(2)
今までも、ふっと感じたことがあった。真っ黒な流れの気配を。
はっと気づいたときには、跡形もなく逃げ去っている。
だが、そこに集まっていたのは、まぎれもない負の水流。
すなわち、悪意だ。
「ド・ジョー?」
「碧、こいつはな、単なる道具だ。質問をする。それに答える。それだけだ。今までは、そうだった」
だが、何かが変わり始めている。
碧が、お面に翳した手を、いったん戻した。
眼鏡の奥で、理知的な瞳が考えている。
よし、いいぞ。この子なら、ちゃんと自分の頭を使うだろう。
伝えておけば、間違いない。きっと大丈夫だ。
「碧、いいか。こいつの言うことを、全て鵜呑みにはするなよ。変だと思ったら、疑うことも必要なんだ」
碧は、改めてド・ジョーの顔を見つめた。
何度も力になってくれた、地宮の住人。
もう、心から信頼できる、大切な存在になっていた。
いつの間にか、ド・ジョーは自分を見つめている。
この目……。この目を、俺は知ってる。
心配してる。でも、信頼してくれている目だ。
だから、見守っている。お前を。
(自分でやれるよな、碧……)
脳内で、懐かしい声が再生された。
小さい時に、よく聞いたフレーズ。
そして、もう注がれることのない、眼差し。
「……う……ん」
間延びした返事になってしまった。
目の周りが、勝手に熱くなる。
抑えようとしても、だめだった。
涙は、温めたミルクみたいだ。ぶわっと吹きこぼれそうになる。
「碧! 暁、気が付いた!」
桃の声がしたお陰で、碧の涙は、瞼の堤防を越えずに済んだ。
桃が、こっちを見ている。ほっとした顔だ。
「みかげもだ。どうだ、起きれるかあ?」
陽が、柔らかく問いかけた。
自分で身を起こそうとする少女を補助しつつ、碧に尋ねてくる。
「で、どんなアクセスだった?」
「っと、ごめん! 今すぐ聞く!」
泣いてる場合じゃない。急がなくちゃ。
鏡に手を翳す。
起動させるには、決まった言葉が必要だ。
何度もやったんだから、分かってる。
「カモン・サイネージ」
かしゃり
鏡面が、真っ黒に切り替わる。
ぱああっ
鏡の金縁に、ぐるりと青白い光が走った。
金色が彩色され、四辺を、緑の蔓と赤いバラが囲む。
一気にカラフルだ。
右下に付いたピエロのお面も、顔の右半分が白く、左半分が青くなっている。
弧を描く口は、赤。トリコロールの彩色だ。
起動が完了するや否や、碧は早口で問いかけた。
「案内板、アク…」
『花束の宴は、これで終了となります』
綺麗な声が、碧を遮った。
変だ。返事じゃない。
さっきと同じアナウンスを繰り返している。
かしゃり
その直後。
目にも留まらない速さで、ピエロの顔が青一色に変わった。
『初期化を実行しますか?』
隣に浮かぶド・ジョーが、ひゅっと息を呑んだ。
急にきた。これだ。汚い水の臭いだ!
「待て!」
ド・ジョーの遮る声は、わずかに遅かった。
「あ? うん」
焦っていたのだろう。碧は、反射的に頷いてしまっていた。
まずい!
ぞわり
無表情のお面が、嗤ったような気配がした。
『はい。初期化を実行します』
ごおおお…っ
言葉と共に訪れたのは、嵐だった。
地宮の住人には抗えない、凄まじい力の渦だ。
「必要ないだろうがっ」
叫ぶド・ジョーが、声ごと攫われていく。
白く煙った水が、轟然と襲い掛かかったのだ。
オーケストラボックスの泉から遠征してきた竜巻だ。水球を一呑みにして、素早く退いて行く。
「ド・ジョーっ」
碧の叫びも、かき消された。
泉の水面は、いきなり大時化だ。
俺は何をした? 初期化って言った?
呆然と突っ立っている碧の体が、よろけた。
べひゅう……
今度は暴風だ。
「みんな、伏せろ!」
陽が、大声で叫んだ。
みかげを庇って、床に伏せる。
桃も、迷わず倣った。暁を押し倒して、覆い被さる。
防災センターの強風体験みたいだ。
これじゃあ、吹っ飛ばされちゃう!
「あ~れ~」
思った傍から、ピンク色の固まりが舞い上がった。
「マダム・チュウ+999!」
手を差し伸べる余裕なんて、ない。
床に伏せた桃の視界の先で、スワンズまでが、次々に攫われていく。
「黒鳥さんっ!」
べっひゅうっ
巨大な黒鳥は、仲間の白鳥と共に、ぐるぐる宙を回った。
ばかでかい洗濯機で、四羽まとめて洗われているような光景だ。
「ん、もう。しかたが、ないわねえ。見届け、たかったんだけど」
とぎれとぎれに、オネエな声が上から聞こえて来る。
碧は、なんとか顔を上げた。
強風で、体はサンドバッグ状態だ。前後左右、めちゃくちゃに揺さぶられてしまう。
マダム・チュウ+999は、ピンク色の餅となっていた。
舞台袖のカーテンに、ぺたりと張り付いている。
バシバシの睫毛に縁取られた目が、しっかりと碧を見た。
「気を付けてね! ちゃんと、」
言えたのは、そこまでだった。
くる くる くるっ!
分厚いカーテンが、独りでに捩じれた。
縦に、細長く丸まってしまう。中に、ネズミを巻き込んだままだ。
「マ」
一文字しか呼べない。
ばたん!
間髪入れずに、何かが外れる音がした。
今度は床だ。真四角に抜けている。
舞台の前方に、穴が出現していたのだ。
「もう退場かよ!?」
マッチョス・ワンズのリーダーが、じたばたしながら喚いた。
まだ、時間はあった筈だ。どうして急に。
そう訴える時間は、与えられなかった。
ひゅうん
大きな体が、無理やり穴に吸い込まれた。
「い、一郎さんっ」
暁が、桃の下で、もがく。
伸し掛かっている桃も、見ているしかできなかった。
床に空いた穴は、巨大なスワンズを、縦に伸ばして吸引していった。
首輪の順番で、次々と引きずり込まれていく。
〔1〕〔2〕〔3〕……
「黒鳥さんっ!」
たまらず、桃が這って近づこうとした。
黒鳥が、声を振り絞る。
「桃! 来ちゃだめだ! 帰っ」
ひゅうんっ
あっという間に、スワンズも姿を消した。
でも、嵐は、まだ収まらない。
ってことは、まだ住人が残ってる?
碧の目が、見開かれた。
舞台の前方だ。吹き荒れる強風に逆らって、ひょろひょろと水柱が揺れている。
天辺が、きらりと光った。金色だ。
碧は、しゃにむに走り出していた。
「っ! あぶない、碧! その先は穴だ!」
陽が、下から飛びついた。問答無用のタックルだ。
碧と一緒に、床に転がる。
「あお、い…! 碧っ! いいか、必ず、」
陽と碧は、同時に顔を上げた。
ド・ジョーが、必死に声を張り上げている。
「ド・ジョーっ!」
碧の声が、掠れる。まだだ。まだ話したい。
もっと、一緒にいたい。
さよならなんて、したくないんだ。
「必ず、無事に帰るんだぞ!」
べひゅうっ!
ひときわ強い風が、細い水柱を吹き飛ばした。



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