ダンジョンズA 〔4〕花束の宴 (はなたばのうたげ)

31.蛍の光(ほたるのひかり)(2)

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31.蛍ほたるの光ひかり(2)

今(いま)までも、ふっと感(かん)じたことがあった。真(ま)っ黒(くろ)な流(なが)れの気配(けはい)を。
はっと気(き)づいたときには、跡形(あとかた)もなく逃(に)げ去(さ)っている。
だが、そこに集(あつ)まっていたのは、まぎれもない負(ふ)の水流(すいりゅう)。
すなわち、悪意(あくい)だ。

「ド・ジョー?」
「碧(あおい)、こいつはな、単(たん)なる道具(どうぐ)だ。質問(しつもん)をする。それに答(こた)える。それだけだ。今(いま)までは、そうだった」
だが、何(なに)かが変(か)わり始(はじ)めている。

碧(あおい)が、お面(めん)に翳(かざ)した手(て)を、いったん戻(もど)した。
眼鏡(めがね)の奥(おく)で、理知的(りちてき)な瞳(ひとみ)が考(かんが)えている。
よし、いいぞ。この子(こ)なら、ちゃんと自分(じぶん)の頭(あたま)を使(つか)うだろう。
伝(つた)えておけば、間違(まちが)いない。きっと大丈夫(だいじょうぶ)だ。

「碧(あおい)、いいか。こいつの言(い)うことを、全(すべ)て鵜呑(うの)みにはするなよ。変(へん)だと思(おも)ったら、疑(うたが)うことも必要(ひつよう)なんだ」

碧(あおい)は、改(あらた)めてド・ジョーの顔(かお)を見(み)つめた。
何度(なんど)も力(ちから)になってくれた、地宮(ちきゅう)の住人(じゅうにん)。
もう、心(こころ)から信頼(しんらい)できる、大切(たいせつ)な存在(そんざい)になっていた。

いつの間(ま)にか、ド・ジョーは自分(じぶん)を見(み)つめている。
この目(め)……。この目(め)を、俺(おれ)は知(し)ってる。
心配(しんぱい)してる。でも、信頼(しんらい)してくれている目(め)だ。
だから、見守(みまも)っている。お前(まえ)を。

(自分(じぶん)でやれるよな、碧(あおい)……)

脳内(のうない)で、懐(なつ)かしい声(こえ)が再生(さいせい)された。
小(ちい)さい時(とき)に、よく聞(き)いたフレーズ。
そして、もう注(そそ)がれることのない、眼差(まなざ)し。

「……う……ん」
間(ま)延(の)びした返事(へんじ)になってしまった。
目(め)の周(まわ)りが、勝手(かって)に熱(あつ)くなる。
抑(おさ)えようとしても、だめだった。
涙(なみだ)は、温(あたた)めたミルクみたいだ。ぶわっと吹(ふ)きこぼれそうになる。

「碧(あおい)! 暁(あかつき)、気(き)が付(つ)いた!」
桃(もも)の声(こえ)がしたお陰(かげ)で、碧(あおい)の涙(なみだ)は、瞼(まぶた)の堤防(ていぼう)を越(こ)えずに済(す)んだ。
桃(もも)が、こっちを見(み)ている。ほっとした顔(かお)だ。

「みかげもだ。どうだ、起(お)きれるかあ?」
陽(ひ)が、柔(やわ)らかく問(と)いかけた。
自分(じぶん)で身(み)を起(お)こそうとする少女(しょうじょ)を補助(ほじょ)しつつ、碧(あおい)に尋(たず)ねてくる。
「で、どんなアクセスだった?」

「っと、ごめん! 今(いま)すぐ聞(き)く!」
泣(な)いてる場合(ばあい)じゃない。急(いそ)がなくちゃ。

鏡(かがみ)に手(て)を翳(かざ)す。
起動(きどう)させるには、決(き)まった言葉(ことば)が必要(ひつよう)だ。
何度(なんど)もやったんだから、分(わ)かってる。

「カモン・サイネージ」

かしゃり
鏡面(きょうめん)が、真(ま)っ黒(くろ)に切(き)り替(か)わる。

ぱああっ
鏡(かがみ)の金縁(きんぶち)に、ぐるりと青白(あおじろ)い光(ひかり)が走(はし)った。
金色(きんいろ)が彩色(さいしょく)され、四辺(しへん)を、緑(みどり)の蔓(つる)と赤(あか)いバラが囲(かこ)む。

一気(いっき)にカラフルだ。
右下(みぎした)に付(つ)いたピエロのお面(めん)も、顔(かお)の右(みぎ)半分(はんぶん)が白(しろ)く、左(ひだり)半分(はんぶん)が青(あお)くなっている。
弧(こ)を描(えが)く口(くち)は、赤(あか)。トリコロールの彩色(さいしょく)だ。

起動(きどう)が完(かん)了(りょう)するや否(いな)や、碧(あおい)は早口(はやくち)で問(と)いかけた。
「案内板(あんないばん)、アク…」
『花束(はなたば)の宴(うたげ)は、これで終了(しゅうりょう)となります』
綺麗(きれい)な声(こえ)が、碧(あおい)を遮(さえぎ)った。

変(へん)だ。返事(へんじ)じゃない。
さっきと同(おな)じアナウンスを繰(く)り返(かえ)している。

かしゃり
その直後(ちょくご)。
目(め)にも留(と)まらない速(はや)さで、ピエロの顔(かお)が青(あお)一色(いっしょく)に変(か)わった。

『初期化(しょきか)を実行(じっこう)しますか?』

隣(となり)に浮(う)かぶド・ジョーが、ひゅっと息(いき)を呑(の)んだ。
急(きゅう)にきた。これだ。汚(きたな)い水(みず)の臭(にお)いだ!

「待(ま)て!」
ド・ジョーの遮(さえぎ)る声(こえ)は、わずかに遅(おそ)かった。

「あ? うん」
焦(あせ)っていたのだろう。碧(あおい)は、反射的(はんしゃてき)に頷(うなず)いてしまっていた。

まずい!
ぞわり
無表情(むひょうじょう)のお面(めん)が、嗤(わら)ったような気配(けはい)がした。
『はい。初期化(しょきか)を実行(じっこう)します』

ごおおお…っ
言葉(ことば)と共(とも)に訪(おとず)れたのは、嵐(あらし)だった。
地宮(ちきゅう)の住人(じゅうにん)には抗(あらが)えない、凄(すさ)まじい力(ちから)の渦(うず)だ。

「必要(ひつよう)ないだろうがっ」
叫(さけ)ぶド・ジョーが、声(こえ)ごと攫(さら)われていく。
白く煙(けぶ)った水(みず)が、轟然(ごうぜん)と襲(おそ)い掛(か)かったのだ。

オーケストラボックスの泉(いずみ)から遠征(えんせい)してきた竜巻(たつまき)だ。水球(すいきゅう)を一呑(ひとの)みにして、素早(すばや)く退(しりぞ)いて行(い)く。

「ド・ジョーっ」
碧(あおい)の叫(さけ)びも、かき消(け)された。
泉(いずみ)の水面(すいめん)は、いきなり大(おお)時(し)化(け)だ。

俺(おれ)は何(なに)をした? 初期化(しょきか)って言(い)った?
呆然(ぼうぜん)と突(つ)っ立(た)っている碧(あおい)の体(からだ)が、よろけた。

べひゅう……
今度(こんど)は暴風(ぼうふう)だ。

「みんな、伏(ふ)せろ!」
陽(よう)が、大声(おおごえ)で叫(さけ)んだ。
みかげを庇(かば)って、床(ゆか)に伏(ふ)せる。

桃(もも)も、迷(まよ)わず倣(なら)った。暁(あかつき)を押(お)し倒(たお)して、覆(おお)い被(かぶ)さる。
防災(ぼうさい)センターの強風(きょうふう)体験(たいけん)みたいだ。
これじゃあ、吹(ふ)っ飛(と)ばされちゃう!

「あ~れ~」
思(おも)った傍(そば)から、ピンク色(いろ)の固(かた)まりが舞(ま)い上(あ)がった。

「マダム・チュウ+999!」
手(て)を差(さ)し伸(の)べる余裕(よゆう)なんて、ない。
床(ゆか)に伏(ふ)せた桃(もも)の視界(しかい)の先(さき)で、スワンズまでが、次々(つぎつぎ)に攫(さら)われていく。

「黒鳥(こくちょう)さんっ!」

べっひゅうっ
巨大(きょだい)な黒鳥(こくちょう)は、仲間(なかま)の白鳥(はくちょう)と共(とも)に、ぐるぐる宙(ちゅう)を回(まわ)った。
ばかでかい洗濯機(せんたくき)で、四羽(よんわ)まとめて洗(あら)われているような光景(こうけい)だ。

「ん、もう。しかたが、ないわねえ。見届(みとど)け、たかったんだけど」
とぎれとぎれに、オネエな声(こえ)が上(うえ)から聞(き)こえて来(く)る。
碧(あおい)は、なんとか顔(かお)を上(あ)げた。
強風(きょうふう)で、体(からだ)はサンドバッグ状態(じょうたい)だ。前後(ぜんご)左右(さゆう)、めちゃくちゃに揺(ゆ)さぶられてしまう。

マダム・チュウ+999は、ピンク色(いろ)の餅(もち)となっていた。
舞台(ぶたい)袖(そで)のカーテンに、ぺたりと張(は)り付(つ)いている。
バシバシの睫毛(まつげ)に縁取(ふちど)られた目(め)が、しっかりと碧(あおい)を見(み)た。

「気(き)を付(つ)けてね! ちゃんと、」
言(い)えたのは、そこまでだった。

くる くる くるっ!
分厚(ぶあつ)いカーテンが、独(ひと)りでに捩(よじ)じれた。
縦(たて)に、細長(ほそなが)く丸(まる)まってしまう。中(なか)に、ネズミを巻(ま)き込(こ)んだままだ。

「マ」
一文字(ひともじ)しか呼(よ)べない。

ばたん!
間髪入(かんぱつい)れずに、何(なに)かが外(はず)れる音(おと)がした。
今度(こんど)は床(ゆか)だ。真(ま)四角(しかく)に抜(ぬ)けている。
舞台(ぶたい)の前方(ぜんぽう)に、穴(あな)が出現(しゅつげん)していたのだ。

「もう退場(たいじょう)かよ!?」
マッチョス・ワンズのリーダーが、じたばたしながら喚(わめ)いた。
まだ、時間(じかん)はあった筈(はず)だ。どうして急(きゅう)に。
そう訴(うった)える時間(じかん)は、与(あた)えられなかった。

ひゅうん
大(おお)きな体(からだ)が、無理(むり)やり穴(あな)に吸(す)い込(こ)まれた。

「い、一郎(いちろう)さんっ」
暁(あかつき)が、桃(もも)の下(もと)で、もがく。
伸(の)し掛(か)かっている桃(もも)も、見(み)ているしかできなかった。

床(ゆか)に空(あ)いた穴(あな)は、巨大(きょだい)なスワンズを、縦(たて)に伸(の)ばして吸引(きゅういん)していった。
首輪(くびわ)の順番(じゅんばん)で、次々(つぎつぎ)と引(ひ)きずり込(こ)まれていく。

〔1〕〔2〕〔3〕……
「黒鳥(こくちょう)さんっ!」
たまらず、桃(もも)が這(は)って近(ちか)づこうとした。

黒鳥(こくちょう)が、声(こえ)を振(ふ)り絞(しぼ)る。
「桃(もも)! 来(き)ちゃだめだ! 帰(かえ)っ」
ひゅうんっ

あっという間(ま)に、スワンズも姿(すがた)を消(け)した。

でも、嵐(あらし)は、まだ収(おさ)まらない。
ってことは、まだ住人(じゅうにん)が残(のこ)ってる?

碧(あおい)の目(め)が、見開(みひら)かれた。
舞台(ぶたい)の前方(ぜんぽう)だ。吹(ふ)き荒(あ)れる強風(きょうふう)に逆(さか)らって、ひょろひょろと水柱(すいちゅう)が揺(ゆ)れている。
天辺(てっぺん)が、きらりと光(ひか)った。金色(きんいろ)だ。

碧(あおい)は、しゃにむに走(はし)り出(だ)していた。

「っ! あぶない、碧(あおい)! その先(さき)は穴(あな)だ!」
陽(よう)が、下(した)から飛(と)びついた。問答(もんどう)無用(むよう)のタックルだ。
碧(あおい)と一緒(いっしょ)に、床(ゆか)に転(ころ)がる。

「あお、い…! 碧(あおい)っ! いいか、必(かなら)ず、」
陽(よう)と碧(あおい)は、同時(どうじ)に顔(かお)を上(あ)げた。
ド・ジョーが、必死(ひっし)に声(こえ)を張(は)り上(あ)げている。

「ド・ジョーっ!」
碧(あおい)の声(こえ)が、掠(かす)れる。まだだ。まだ話(はな)したい。
もっと、一緒(いっしょ)にいたい。
さよならなんて、したくないんだ。

「必(かなら)ず、無事(ぶじ)に帰(かえ)るんだぞ!」

べひゅうっ!
ひときわ強(つよ)い風(かぜ)が、細(ほそ)い水柱(すいちゅう)を吹(ふ)き飛(と)ばした。

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