当サイトは広告を利用しています プライバシーポリシー

4.噴水(2)
何も考えられなかった。
碧は、暁めがけて噴水に飛び込んだ。
ばしゃーん
水音が響く。
深い!?
驚く間もなく、碧は暁の体を掴んだ。
だが、水難救助としては0点だ。
こんなときは、いきなり飛び込んではいけない。自分も溺れる危険がある。二次遭難だ。
陽が、着ていた上着を素早く脱いだ。
自分は水に入らず、それを碧に向かって垂らす。
「つかまれ!」
噴水の縁ぎりぎりに足を掛けて、陽は上着で碧を釣ろうと試みた。
なんとか届く。ずぶ濡れの碧が、左腕を伸ばして掴んだ。右腕は暁を掴んでいる。
まずい。かろうじて水面から出ている暁の顔が、ぐったりしている。
「桃! 助けを呼んでこい!」
すくみあがっている妹に、陽が言い放った。
その時だった。
ずいっ
上着が引っ張られた。
陽が、腕に力を籠める。裂けないでくれよ。上着の布地に、祈りを込める。
水に浮かぶ大物を、なんとしてでも釣り上げるつもりだった。
だが、大物すぎた。
見開いている桃の目に、恐ろしい光景が映った。
暁が、まず沈んだ。間髪入れず、碧の体も水中に引きずり込まれる。
上着は、ぎりぎりと引き絞られ、一本の縄みたいになっていた。
そして、綱引きに負けた陽が、噴水の中に引っ張り込まれた。
芋づる式だ。
「お兄ちゃんっ」
桃は、とっさに陽の腕を掴もうとした。
だが、間に合わない。
ばしゃーん
水が跳ね上がる。陽の大きな体が、みるみるうちに噴水に呑み込まれていく。
声も出なかった。
三人の姿は、ない。浮かんでこない。
そう認識したとき、桃は走り出していた。
自分のどこにそんな積極性があったのだろう。
フロアを歩いてきた男の人を捕まえて、大声で叫ぶ。
「あの! 助けて下さい! 兄たちが、噴水に、」
そこまで言って、桃は気付いた。
無視だ。まったくリアクションがない。
えっ?
唖然とする桃に視線も向けずに、相手はそのままエレベーターに歩いていってしまった。
かなり高齢だったことに、後ろ姿で気付く。
もしかして、聞こえていなかった?
めげている暇はない。一刻を争うのだ。
小さな子どもを連れたお母さんがいた。
すがるような気持ちで駆け寄る。
「すみません! 兄たちが噴水に、」
だが、まただ。
こっちを向きもしない。
子どもを見下ろして、話を続けている。
どうして? 聞こえてないの?
ほとんど泣きそうになりながら、桃は辺りを素早く見渡した。
首が、ぶんぶんと動く。暁よりも速い。
警備員さんがいる! 鬼塚さんだ!
「助けて下さい! 噴水で、兄たちが、」
だが……同じだ。
駆け寄ってきた桃を、見もしない。
鬼塚さんは、鬼瓦のようなご面相で、エントランスホールを見渡している。
館内の安全確保が、仕事なのだ。
そうだ。こんな緊急事態を、無視するわけがない。
聞こえていないんだ。
「どうして……?」
涙声で、桃は呟いた。
ところが、それに応える声があった。
超低音、バリトンボイスよりも低い声だ。
「無駄だ。人間は、感心がないものは目に映らない。信じていないことは、耳に届かない」
こんな声の持ち主は、一人だけ、いや、一匹だけだ。
「ド・ジョー!」
噴水だ!
桃は、ダッシュで駆け付けた。
果たして、金色のドジョウがいた。小さな水柱の上に立っている。
「一人で判断して、一人でやらなきゃいけない場合もあるのさ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ」
「どういう意味?」
小学4年生にも分かるように言って欲しい。
そして、今は急いでいる。
焦る桃が、おっかぶせるように問いかけた。
「……暁たちを助けたいか?」
勿論だ。桃は、声も出さずにぶんぶん頷いた。
「だったら、お前も飛び込め」
「分かった」
桃は、たすき掛けにしていたスポーツバッグを下した。
噴水の手前に置く。暁のバッグも、傍に落っこちていた。
と、きらりと何かが光った。
暁のティアラだ。
桃は、素早く拾い上げた。
これは持っていこう。そのほうがきっといい。
ティアラを右手に、桃は噴水の縁に立った。
普段なら、こんなこと絶対にやらない。
底がすぐ見える筈なのに、今は底なし沼のようだ。たぷたぷと水面が揺れている。
どのくらい深いんだろう……。
行かなきゃ。
そう思うのに、足が棒のようだ。動かない。
怖い。
水際で見守っていたド・ジョーが、小さく溜息をついた。
この子には、まだ酷かもしれない。
決意はある。それだけでも、よしとするか。
「しかたがねえ。特別サービスだ」
低い声が、下から響いた。
その刹那。
ごうっ
噴水の水面が、盛り上がった。
桃の前に、水の壁が立ちはだかる。
思わず目を固く閉じた。
それは、水でできた、巨大な手だった。
優しく桃の体を握ると、ひっこんでいく。
桃を連れて。
ばしゃん
水音が聞こえてきて、鬼塚警備員は顔を曇らせた。
噴水だ。しゃわしゃわと吹き出る水音ではなかった。誰か、いたずらでもしてるな。
見ると、誰もいない。
噴水に近づいていくと、鬼塚の顔は、さらに鬼のような面相になった。
「なんじゃ、こりゃ」
水が、床のあちこちに零れている。
そんななか、子供の物と思われるスポーツバッグが散乱していた。
床に二つ。
そして、噴水にも二つ、ぷかぷかと浮いていた。



読んで下さって、有難うございます! 以下のサイトあてに感想・評価・スキなどをお寄せ頂けましたら、とても嬉しいです。
ランキングサイトにも参加しています。
クリックすると応援になります。どうぞよろしくお願いします↓
