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4.マダム・チュウ+999(1)
もし、あなたがオネエ言葉を話すピンク色のネズミに出会ったら、どうしますか?
突拍子もない、仮定の質問だ。
だが、今、それは現実だった。
鮮やかなショッキングピンクの毛色だ。
大きなテーブルの上に、ネズミのくせに、二本足で立っている。
伸び上がった体の、胸の辺りだけ、白くハート型に染め抜かれていた。
おしゃれなネズミである。
つぶらな瞳が、こっちを見ていた。
小さなホウキ並みに、まつ毛がバサバサだ。
気合の入ったメイクが施されている。
「こんにちは~」
陽は、挨拶した。
地顔が笑顔だから、心から微笑みかけているのか、ただデフォルトなだけなのか、判別がつかない。
三ツ矢家家訓、すげえ!
隣りで、碧は声に出さずに唸った。
人語を解するものには、挨拶すべし。
幼少期から叩きこまれている陽は、東小でも数々の逸話を残している。
遠足で動物園に行ったとき、キエリボウシインコにも挨拶した、だの。
職業体験の携帯ショップでは、販売促進ロボットに、
「こんにちは、よろしくお願いします」
ってお辞儀をした、だの。
これで、更なる伝説の更新だ。
「こんにちは!」
間髪入れず、暁も笑顔で言った。
暁、お前もか……。
まあ、喋る金色のドジョウにも、のっぺらぼうのバレリーナにも、臆さなかった奴だ。
オネエなネズミが来ようと、きゃあきゃあ喚く玉じゃないよな。
陽と暁に、内心でツッコんだ碧だ。
だが、やっぱり、ぺこっと小さく挨拶した。
「こんにちは」
社交辞令を弁え、協調性に富んだ、小学5年生なのである。
「んま~! 三人とも、ちゃんとご挨拶できる子なのね! えらいわあ。ド・ジョーから聞いてるわよ。どの子が暁?」
野太い男の声で、ネズミが尋ねた。
「あ、私が暁! こっちが陽で、この子が碧だよ」
オネエな口調に、暁は全く動じない。
はきはき紹介する。
引き攣った顔をしているのは、碧だけだ。
強烈な新キャラクターから、目が離せない。
ネズミって、けっこう小っちゃいんだな。
乗っかっているテーブルが、すごく大きく見える。
直立した格好で、ピンク色のネズミは、小さな鼻をピクピクさせた。
ヒゲが、ぴょいぴょい動く。
かわいい。
ほわ~ん、としてから、碧は、はっと気付いた。
いや、待て。これは、男。いや、オスだ。
「そう、よろしくね~。アタシの名前は、マダム・チュウ+999よん」
また、けったいな名前だ。
マダム・チュウまでは普通だ。
マダムは女性の敬称だから、変だけど。
まあ、いい。
「プラス スリーナインって、なあに?」
暁が、にこにこと尋ねる。
この場にド・ジョーがいたら、その超低音の声でもって、ハードボイルドな訓示を垂れたことだろう。
世の中にはな、聞いたら厄介なことになる疑問が、いくつか存在するんだぜ。
にまぁ
ピンク色のネズミは、口元を釣り上げた。
なんだか、凄みのある微笑だ。
碧だけが、ぞっと震えた。
喩えるなら、ハエを目の前にした食虫花だ。
目と鼻と口が付いていたら、こんな風に笑う、きっと。
「それはねーえー、長いから省略してるのよ。アタシの美しさに相応しい名前を足していったら、どんどん増えちゃって、全部で999文字になっちゃったの」
「そっかあ。スリーナインって、九百九十九ってことだったんだ。すごいね、沢山お名前があるんだ」
無邪気に感心する暁に、オネエなネズミは勢い込んで続けた。
「そうなのよ! 本当のアタシの名前はねえ、マダム・チュウ アナスターシア ベアトリックス クレメンタイン ディアーナ エリザベス フローラ ジェラルディン ハーマイオニー……」
延々と続く。
マダム・チュウ+999は、プラス部分の名を謳い上げる度に、いちいちポーズを取った。
テーブルの天板が、舞い踊るネズミのステージだ。いきなりの独演会である。
全校集会の校長先生の話より、長くて退屈だ。
小学生三人の忍耐力に、次々と限界が訪れた。
一番初めに、暁が座り込んだ。
なんだろ? この床、とってもフカフカだ。
陽も、隣に腰を下ろす。
ずいぶん変わった床だなあ。
粗く砕いてチップにしたコルクが、分厚く敷き詰められていたのである。
わりと、座り心地がいいな……。
碧も、礼儀を尽くすのを放棄した。
マダム・チュウ+999の声が、室内に木霊していた。
もはや、睡魔を召喚する呪文だ。
ふわふわ
柔らかい雲の上に座ってるみたいだ。
「……らん りか るい れいな ろみ わかば。これで999文字よ。どう? 素敵な名前でしょ」
「……はっ」
碧は、意識を取り戻した。
途中から聞いてませんでした。
なんて言えない。
横を見ると、なんのことはない。暁と陽は、完全に寝ていた。
二人とも、両足の膝小僧の間に、頭を埋没させている。堂々とした居眠りっぷりだ。
碧は、苦笑しつつ、二人をぽんぽん叩いた。
「……ん、終わった?」
暁が、目をこすりながら、立ち上がった。
う~ん、と伸びをする。
全然、悪びれていない。
陽は、その隣で、黙々と腕のストレッチを始めた。
寝起きの日課なのだ。完全に寝ぼけている。
「あー。素敵だけど、ちょっと長すぎるかな」
碧も立ち上がった。
三人の総意をソフトに取り纏める。
ストレートに言うならば、とんだ寿限無寿限無である。
「んま、手厳しいわねえ。ま、いいわ。アタシの美しさを理解するには、ちょっと幼すぎたってことね」
オネエなネズミは、あっさり躱した。
いや。たとえ100歳まで生きたとしても、理解できるかどうか、心もとない。
そろそろ慣れてきた碧が、反論してやろうと口を開く。
その矢先に、マダム・チュウ+999が、恐ろしい攻撃を放った。
ばっちん
ウインクだ。バサバサの睫毛が、音を立てる。
ハエ取り草が口を閉じた様子に酷似していた。
「じゃ、すぐに支度してくるわん。ちょっと待ってて!」
野太い男の声で、甘ったるく喋る。
これは、キツい。一撃必殺の技だ。
「支度って?」
暁は、きょとんと首を傾げた。
陽も、笑顔のままだ。
三人のうち二人には、効果がゼロだった様子だ。
碧だけが、絶対零度の寒気に襲われて、ぶるぶる身を震わせていた。
「これから、みんなで、チュチュの材料を集めに行くのよん!」
マダム・チュウ+999は、高らかに宣言した。