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5.ダンジョンズ(1)
「は~い、お待たせ。準備万端よん」
ピンク色のネズミが、ようやく顔を出した。
壁面の部屋から、透明な管を通って、床に降り立つ。
二本足で伸び上がった姿は、人間みたいだ。
「遅い。何してたんだよ」
碧が、ぶっきらぼうに尋ねた。
可愛らしいネズミは、野太い男の声で返事した。外見と、すごいギャップだ。
「集める物をメモしてきたわ。あとは、身だしなみ。ブラッシングしたのよ。どうお?」
気取ってポーズを取る。
なにが変わったんだ。ぜんぜん分からない。
そのまんま口に出そうとした瞬間、碧は言語中枢に急ブレーキをかけた。
ちろん、と妖艶な笑顔で、オネエなネズミが見上げてくる。
目は笑っていない。
脳裏に警報が鳴り響いた。
これは、ツッコんじゃいけないやつだ。
絶対に、めんどくさいことになる。
「い、いいんじゃないかな。ね、陽?」
助けを求るように、碧は隣を振り仰いだ。
だが、陽は正直だった。
「どこが変わったか全然わからないけど、」
あ、バカ。
内心、慌てる碧に構わず、陽は続けた。
「かわいいと思うなあ」
本心である。笑顔で言った。地顔である。
「んまっ、正直ねん」
マダム・チュウ+999は、一発でご機嫌だ。
碧は、苦笑いするしかなかった。
これだから、陽には一生かなわない。
「じゃあ、案内板を起こして頂戴。やり方は分かるでしょ」
ネズミの前足が指しているのは、壁に掛かった鏡だ。
「え?」
戸惑っている陽をよそに、碧と暁は、うんと頷いた。
案内板?
「これ、鏡じゃないのか」
確かに、前に立っている自分達の姿は、映っていない。
真っ黒な鏡面には、のっぺらぼうが、ぼうっと浮かんでいる。
バレリーナの恰好をした、お化けだ。
白い衣裳に、きっちりと纏め上げた黒髪。
ピンク色のトウシューズを履いている。
「ああ、これ、案内板になるんだよ」
隣りで、碧が事も無げに言った。
「西センターに、デジタルサイネージができたでしょ。あれと同じボイスコマンドだよ」
暁も、横から付け加えた。
デジタルサイネージ。電子案内板のことだ。
そういえば、あったなあ。
「ボイスコマンド? なんだったっけ?」
真ん中で、陽が首を傾げた。
すると、両脇の二人が、背伸びして同時に耳打ちしてきた。
伝えられた言葉も、同じだ。
「ああ、そうかあ」
にこっと、陽が頷いた。
右端の碧が、鏡面に触れる。
そして、すうっと息を吸い込んだ。
三人の声が、揃った。
「カモン サイネージ」
かしゃん
鏡面が、切り替わった。
のっぺらぼうのバレリーナが、一瞬で黒く塗り潰されてしまう。
さあっと音を立てて、鏡の天辺から、青白い光が溢れ出た。
左右へ分かれて、縁をなだれ落ちる。
光が触れたところから、黄金の縁飾りは塗り替えられていった。
蔓は緑に。バラは赤に。
まるで、本物の蔓バラが鏡を飾っているかのようだ。
右縁に付いていたお面から、声が流れた。
『スリープモードが解除されました。ご案内を受け付けます』
お面の顔にも、色が付いている。
顔の真ん中で、きっぱり二色に分かれたカラーリングだ。
右半分は白、左半分は青。
弧を描いて笑っている口は、赤だ。
サーカスのピエロなのかな。
陽は、まじまじとお面を見つめた。
頭の右上には、くしゃくしゃの青い花が付いている。小さい髪飾りだ。
スリープモードってことは、眠っていたのか。
「えーと、おはよう?」
『おはようございます。ご質問をどうぞ』
陽と案内板の会話に、碧が苦笑している。
一応、考えて挨拶したんだな。
「さ、行きましょ。案内板に、付いて来るよう頼んでね。ダンジョンは広いから、案内なしじゃ無理なのよん」
マダム・チュウ+999は、ぽんぽん言った。
四つ足歩行に切り替えて、さっさと走り出す。
「わ」
暁が小さく叫んだ。ピンクネズミが、ちょろちょろと体を駆けあがってきたからだ。
暁の肩まで登ると、二本足で立つ。
肩乗りネズミだ。
「付いて来いったって……」
一気に色々言われて、碧が戸惑った。
「鏡が、後ろをぴょんぴょん跳んで付いてくるっていうのか?」
「一緒に付いてきて!」
暁が、何も考えず、そのまんま案内板に向かって唱えた。
ピンクネズミを肩に乗っけて、ご機嫌だ。
『かしこまりました』
かあっ……
またもや、青白い光だ。
縁の右下から迸っている。
ごとごと……ごとごと……
光に包まれたピエロのお面が、揺れ始めた。
まるで、むりやり引っぺがされているみたいに。
すうっ
ほどなく、青白い光が消えた。
一丁上がりだ。ピエロのお面は、宙に浮かんでいた。
「……なるほど」
碧が、納得した。
これなら大丈夫だ。
「へえ。これが、道案内してくれるのかあ」
陽が、感心しながら見上げた。
くるり
お面の顔が、そっちを向く。
『はい、ご案内を開始します。現在、ここは西棟の地下61階です。オートシャッフルは、10分11秒後に起きます。次に、この階は地下41階になる予定です』
言ってることが、全く分からない。
「なんだろう。碧、分かるか?」
碧も首を振る。だが、はっと目を見開いた。
「そういえば、マダム・チュウ+999、さっきダンジョンって言ってなかった?」
「さあ、レッツラゴー!」
完全に無視して、マダム・チュウ+999が、暁の肩から下知を下した。
いざ出陣だ。
指さすは、碧達が入って来たドアである。
「あ、バッグどうしよう。持ってく?」
暁が尋ねた。
「ここに置いたままでいいわよ。必要な物だけポケットに入れて。ほら、陽、ドアを開けて頂戴な」
レディみたいな口ぶりで、オネエネズミが急かす。
陽が、慌ててドアに向かった。
なんの変哲もない、丸いドアノブが付いている木の扉だ。
「ちょっと! この外って、螺旋階段だろ?」
碧が、後ろから指摘した。
なんだかんだと、後を付いて来ている。
確かにそうだ。陽も、不審に思いつつ、ドアノブを捻った。
押して開けようとする。
あ、違った。逆なんだっけ。
内開きの扉だ。手前に引くと、扉は開いた。
「!」
絶句して突っ立っている陽の後ろから、碧と暁が顔を出す。
「うわぁ……!」
顔を輝かせた暁が、外に飛び出した。
違う。変わっている。螺旋階段じゃない。
しばらく直進した先で、床は終わっていた。
その先で、金色の手摺が、ずらっと通せんぼしている。
バルコニーだ。
陽は、ゆっくり近づいた。
手摺から身を乗り出して、下を覗いてみる。
遥か彼方に、底が見えた。
岩が、地面のように広がっている。
ガチガチに固そうだ。
見上げてみると、これまた高い。
同じ欄干が、幾重にも連なっている。
高層ビルみたいな眺めだ。
でも、空は無い。天頂にも、岩が塞がるように広がっている。
「ここが、ダンジョンってことかなあ?」
陽は、後ろにいる碧に尋ねた。
ああ、驚きで固まっちゃってる。
陽の問いかけで、ようやく碧は再起動した。
「……たぶん。ああ、案内板に聞けばいいのか。この場所の説明をして」
浮かんでいるお面を見上げて、指示した。
綺麗な女性の声が、すぐに応答した。
『はい。こちらは、オーロラの地宮にある、地下百階建てのダンジョンです。こちらは、西棟。向かいが東棟です。西宮殿、東宮殿とも呼称されます』
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