ダンジョンズA〔1〕ガルニエ宮(裏メニュー)

5.ガルニエ宮(2)裏メニュー

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5.ガルニエ宮(2)

「……あれ、暁?」
碧は、はっと我に返った。
暁が傍にいない。

「……またかよ」
唸るように、碧は吐き捨てた。
実によくあることだ。
最悪のパターンでは、そのまま迷子になる。

「ああ、もー! こんな訳の分からない場所で、やめてくれよ。迷子の呼び出し放送なんて、無いだろ、絶対!」
わめきながら、碧は、大道具の扉をきちんと閉めた。
それから、肩に引っ掛けていただけのスポーツバッグを、しっかりと、たすき掛けにする。
流れるような動きだ。

よし。これで、いざという時は走ろう。
きっと、まだ遠くには行ってない。
「暁~!」
碧は、大声で名前を呼びながら、さっさと歩き出した。迷子捜しの鉄則だ。

実に手際がよい。
慣れているのだ。
ひとえに、幼馴染のおかげである。

歩きながら、碧は違和感を覚えていた。
なんだろう。ここは、空気そのものが違う気がする。
今は、日本の夏だ。
べたべたと湿気が纏わりつく季節である。

それがない。
エアコンの冷気も感じない。爽やかな空気だ。
一足先に、秋が訪れたかのようである。
半袖のパーカーシャツでは、ちょっと肌寒いくらいだ。

「碧~、ここだよ~」
暁の声だ。いた。

よかった、すぐ見つかって。
碧は、ほっとして、歩を速めた。
ステージに出ちゃってたのか。
碧は、下がった幕の間を通り抜けた。
威勢よく、文句が口から迸る。

「もー! 暁! どんどん先に、行っちゃわ……ない……で……」
だが、だんだん尻つぼみになっていく。

終いには絶句した。
信じられない。
のろのろと、足だけが勝手にステージの前へと進んで行く。

膨大な空間が、目の前に広がっていた。
「……劇場だ」
いや、それは分かってたけど。
なんなんだ、ここは……!?

ずらりと、赤い布張りの客席が並んでいた。
半端ない数だ。
一階席だけではない。
二階、三階、四階……五階建て?
金色の太い柱の間には、ブースで仕切られた桟敷席が設けられている。

でも、人っ子一人いない。

碧は、天井を見上げた。
口は、あんぐりと開いたままだ。

これまた、すごい。
半円球になっている。
そして、そのドームの中には、色鮮やかな天井画が描かれていた。

中心からは、照明が釣り下がっている。
見たことも無いくらい、どでかいシャンデリアだ。

「はー……」
碧の口から、思わず詠嘆の声が上がった。
何もかもが、桁違いに豪華だ。

「ずいぶんゴージャスになったね~」
呑気な声がして、ようやく碧は我に返った。
いつのまにか、暁が隣に立っていた。
のんびりと客席を見渡している

「いや、ゴージャスすぎるだろ」
反射的に、碧は切り返した。
そうだ。
たかだか児童館に、こんな設備を作っていたら、確実に区の財政が破綻(はたん)する。

驚愕で凍り付いていた碧の頭も、ようやく溶け始めた。
「そうだ。見覚えがあるぞ、ここ。あーちゃんママが、事前学習って言って、見せてくれたとこだ。一緒にバレエに行く日の前に」

一緒にバレエ、は何度もある。
「えっと、いつの? くるみ割り人形? 白鳥の湖? 眠りの森の美女?」
暁が、素早く列挙する。

碧の返答も、早い。
「眠りの森の美女! それの、劇場で上演していた映像を見せてもらったんだ。ほら、何だっけ、有名なフランスの……パリの……」
さすがの碧も、劇場の名前までは暗記していない。

暁は即答した。
「オペラ座。ガルニエ宮」
「そう、それ!」

碧は、勢い込んで頷いた。
正解だ。
暁が、嬉しそうにハイタッチしてくる。

いや……でも、どうして?
手を合わせた互いの顔に、同時に同じ疑問が浮かんだ。
暁は、そのままのポーズで、こてんと首を傾げた。
碧の顔は、引きつっている。

なんで、自分達は、遠い異国の劇場にいるんだろう。
さっぱり分からない。

暁の切り替えは、早かった。
とりあえず、碧にも、あれを見せようっと。

「ね、碧。こっち来て」
碧の手を引っ張る。
考え込んでいる幼馴染は、返事もしなかった。
だが、逆らわず、そのまま連れられていく。

あれ?
碧は、ふっと、足元を見た。
なんだか、坂道を下っているような感じがするな。緩やかだけど、間違いない。

ああ、思い出した。
ここのステージは、ちょっと傾斜(けいしゃ)しているんだっけ。

「ガルニエ宮みたいな、歴史のある劇場の舞台は、わざと斜めっとるんや」
暁の母親が、あの時、そう言っていたじゃないか。

「なんで?」
「演技が見えやすいようにやな。舞台の奥が、少し高くなっとるんよ」
あーちゃんママが、バレエを語り出すと長い。
その後のご高説は、忘れてしまった。

まてよ。
おかしいぞ。それなら逆じゃないか?
舞台の奥に進むなら、上っていく筈なのに。
ああ、もう。分からないことだらけだ。

暁が歩みを止めた。
碧も、気付いて、ふっと顔を上げる。

「はー……」
思わず、本日何度目かの溜息が洩れた。

またもや、地方自治体の財政レベルを軽く超えた代物が、目の前に並んでいた。

まるで、魔法使いが使う大きな鏡だ。
周りを囲む金縁(きんぶち)には、どれも、本物と見紛うほどの精緻(せいち)な蔓バラが彫られている。

ん?
碧の目が、吸い寄せられた。
正面の鏡の、右下のところだ。
金の縁飾りに、金色のお面が付いていた。

人の顔だ。口が、弧を描いて笑っている。
なんだろ。ピエロかな?

隣の暁が、のんきな口調で話しかけてきた。
「ねえ。これって、お化けかな? ほら、噂になってた、西センターの七不思議の」

なんてことない風に言うから、碧も深く考えずに顔を上げた。

鏡に、自分達は映っていなかった。
一面、どういうわけだか、真っ黒に塗り潰されている。

ふよふよ
そこに、バレリーナが浮かんでいた。
ただし、顔が無かった。のっぺらぼうだ。

普通は、叫ぶと思う。
碧は叫んだ。
「うわああああっ!!」

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