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5.病室(2)
ぶんっ
バッグの中から、着信を知らせる振動がした。
座った膝の上に乗せていたから、すぐに気づいた。
ここは個室だ。他の患者に気兼ねする必要はない。取り出して、応答する。
「はい?」
「ああ、加羅さんでいらっしゃいますか。西センターの警備室です」
それを聞いて、ちょっと眉を曇らせた。
いまさら、何の用なのか。
それでも、反射的にこう述べる。
「はい、加羅でございます。そのせつは、大変お世話になりました」
恐らく、あの時の警備員だろう。
声に聞き覚えがあった。
「実は、娘さんの落とし物なんじゃないかって。この前、休日診療所から届けられましてね。こちらで預かっておりまして。ご連絡が遅くなって申し訳ありません」
落とし物?
全く心当たりがない。
「なんでしょうか?」
いぶかしげな声を出す。
「なんというか……、その、高そうなお面なんですよ。外国の物っぽい。白と青の顔をした」
はあ?
なに、それ?
と思っても、ストレートに口に出したりはしない。よりマイルドな否定を、上品に述べる。
「はあ……、そうですか。それはわざわざ、どうも有難う存じます。ですが、うちにはそういった物はありませんので、違うかと」
「えっ、そうですか? 休日診療所の待合室に、転がっていたそうなんですよ。担当医の先生が、加羅先生のとこのお嬢さんのだろうって」
もちろん、そこでぶっ倒れていたことを知っているわけだ。
思った以上に、噂に上っている。
ここでも思い知らされて、げんなりした。
「娘さんに見てもらいますか? センターがやってるときに、カウンターに寄ってもらえれば」
この警備員は、人の話をちゃんと聞いていない。
母親が、明確に否定しているというのに。
届けてきた医者の、「これは加羅先生のお嬢さんの物だ」という推測の方を、すっぽり信じ込んでしまっている。
かーっと、熱くなった言葉が、奔流となって口から飛び出そうになった。
「娘さん」は、今、気軽に西センターに寄ったりできないのよ!
あれから寝たっきりなの!
簡単に言わないで!
だが、一呼吸置いて、抑えた。
ここで感情をぶちまけるべきではない。
マイナスになることが、多すぎる。
「でも、娘もしばらくそちらに行く用事はありませんし」
せめて、この言葉の節々に込めた嫌味を酌んでほしい。
ありがた迷惑でございます。
だが、思い込むタイプの人間に、通じるわけはなかった。
通じないどころか、いきなり、弾んだ声が流れてきた。
「ああ! 分かった、こりゃピエロなんだな。ピエロのお面だ」
誰もそんなこと聞いていない。
お面を試す眺めつしていたのだろう。
こっちの言っている言葉は、右耳から左耳に抜けているのだ。
しかたがない。ここは、同じことを繰り返すしかなさそうだ。
「そうですか。やはり、娘の物ではありませんので」
「え?! じゃあ、どうしますか?」
そんな意外そうに言われても。
思わず失笑した。それは、そっちで決めることだ。
もう、相手にしている必要はない。
「わざわざ、ご連絡ありがとうございました。ごめん下さいませ」
丁重に、だが一方的に、通話を終わらせた。
とんだ時間の無駄だ。
まあ、やることも、そんなにないのだけれど。
そろそろ帰って、夕飯の支度をしよう。
最近は、夫も真っすぐ帰ってくる。
娘がいなくても、つい普段通りのボリュームで料理してしまうから、ちょうどいい。
「また来るわね、みかげ」
眠る娘に声をかけて、椅子から立ち上がった。
返事はない。それでも、毎回、話しかけずにはいられないのだ。
みかげ、お母さんよ。
また来るわね、みかげ。
早く、目を覚まして。



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