当サイトは広告を利用しています プライバシーポリシー
6.ポアント(2)
暁と碧は、顔を見合わせた。
「言葉、通じてる!」
「いや、そもそも日本語だろ」
お化け語じゃない。日本の標準語だ。
『ポアントを探して』
だが、言ってる単語が分からない。
「ポアント? それ何?」
暁は、鏡と碧の両方に尋ねた。
碧は首を振った。見当もつかない。
すると、鏡の方から、お返事がきた。
バレリーナの涙は、止まったらしい。
顔が無いから、推定だ。
口も無いのに、どこから声を出しているのだろう。謎だ。
『トウシューズのことを、ポアントって呼ぶのよ。履いて踊るのに、失くしてしまったの』
なるほど。トウシューズの専門用語か。
碧も暁も、改めて、のっぺらぼうのバレリーナを見た。
着ているのは、真っ白なチュチュレオタード。
しろさんが着ていたのと、同じだ。
円盤状に張り出したスカートが、ふわりと広がっている。
そこから覗く足は、白いストッキングに包まれていた。
全身、白でコーディネートされた、白鳥の出で立ちである。
だが、足袋裸足だ。
正確には、ストッキング裸足、か。
トウシューズを履いていないのだ。
「失くしちゃったの?」
暁が、柔らかく問いかけた。
すると、のっぺらぼうは、再び顔を伏せた。
きっちり結い上げた髪が、頭の天辺で丸く纏められている。
黒髪だから、黒いお団子だ。
また、嗚咽が聞こえてくる。
うーん。
暁と碧は、鏡を前に唸った。
「お化けさんが泣いている場合って、一体どうしたらいいと思う?」
「……般若心経を唱えたとしても、たぶん泣き止まないよな」
「だめだよ、碧。よけい泣いちゃいそう」
暁は、辺りを見渡した。
「どこにあるのかなぁ」
言いながら、肩に下げていたバッグを、ぽいっと床に放り出す。
と、いきなりダッシュした。
ウオーミングアップ無しだ。
呆れるほど速い。
広いステージを、ぐるっと周回すると、あっという間に碧の所へ戻ってきた。
「ない!」
「いや、こっから見ても分るだろ、それ」
碧は、前方に広がる床を見渡した。
すっからかんの、ピッカピカだ。
トウシューズどころか、チリひとつ落ちていない。
「じゃあ、こっちかな」
暁は、自分達がやって来た方を指さした。
上手側の舞台袖だ。
客席から見て、右側の方である。
「きっと、そうだよ! いろんなものが置いてあったし。トウシューズも、ありそう!」
碧の返答を待たずに、またもや暁の足が火を噴いた。
だめだ。完全に勢いがついてしまっている。
既に、暁の姿は、幕の陰に消えていた。
「ちょっと待って、暁!」
碧も、慌ててバッグを肩から下した。
無造作に打ち捨てられている暁のバッグも、床から拾い上げる。
ゆらり……
その時。大きな鏡面の横で、何かが揺らいだ。
茶色い煙のような物だ。すうっと細く伸びて、ゆらゆらしていたが、すぐに見えなくなった。
碧は気付かない。
バッグを二つ、きちんと鏡の前に並べて置くと、顔を上げて喚いた。
「もー! 一人で行くなって!」
ああなった暁は、どうせ止められない。
一緒に探して、とっとと見つけてやったほうが、結局は早く済むだろう。
経験則に裏打ちされた判断を下すと、碧は、暁を追って駆け出した。
しぃ……ん
ステージは、再び静まり返った。
顔の無いバレリーナは、二人の行動に対して、何故か反応を示さなかった。
ただ、真っ黒な鏡の中で、ふよふよと浮かんでいる……。
どうせ、すぐに見つかるだろう。
碧は、完全に甘く見ていた。
改めて見ると、舞台袖は舞台道具で犇めいていた。
床に置かれた大道具の他にも、雑多な小物類が壁にぶら下げられている。
スタンバイして出番を待っている、といった風情だ。
その中を、すごい勢いで暁が歩き回った。
探しているのか、障害物競走をしているのか、もはや分からないスピードだ。
避けきれずに、床に置いてあった額縁の絵に蹴つまずいたりしている。
碧の探し方は、確実だ。
どこかに紛れていないか、ひとつひとつ確認していった。
作業机と椅子。工具の入れられた箱。
からくり時計に、籐で編んだバスケット……。
でも、こんなに物はあるのに、トウシューズだけは無かった。一足もだ。
「じゃあ、あっち側は?」
暁が、向こうを指さした。
逆側にも、同じような空間が見える。
客席から見て左の方にある、下手側の舞台袖だ。
「そうだな。行こう」
舞台を横断すれば、すぐだ。
スキップで飛び跳ねていく暁の後ろを、碧が黙々と歩く。
客席から観たら、さぞかし面白い光景だったろう。
到着した二人は、きょろきょろと辺りを見渡した。
こっちは、やけにがらんとしている。
大道具どころか、小物ひとつ置いていない。
白い壁にも、何も吊り下げられていなかった。
つるつるだ。フックすら無い。
ぽつんと、鉄棒みたいな代物が、端っこに置かれていた。
「あ! これ、西センターにもあるやつだ」
暁が声を上げた。
バレエの移動式バーだ。
これに摑まって、腕を振ったり足を上げたりしているのを見たことがある。
自分たちの空手教室の後に、バレエ教室をやっているからだ。
ただし、この備品はランクが違った。
西センターにある、ちゃちな物とは及びもつかない。
ちょっと古びてはいるが、がっしりとした作りだ。キャスターも付いていない。
持って運ぶとしたら、相当重たそうだ。
「そうか。ここでさ、ウオーミングアップとかするんじゃないか? 出番を待つバレリーナ達が」
推測した碧に、暁が顔を輝かせた。
「じゃあ、このへんにトウシューズ落ちてるかな?」
「いや、無いよ。見れば分かるだろ」
一目瞭然だ。このバー以外は、なんにもない。
「うーん。じゃあ、後は客席の方とか?」
言いながら、暁の足は既に動き出している。
碧も、すぐに並んで歩き出した。
二人揃って、ステージに出る。
「いや。トウシューズって、そもそも出演する人の物だろ? それがお客さんのところにあるなんて、ちょっと考えにくいよ」
碧が、冷静な意見を述べる。
並んだ鏡も通り越して、二人はステージの前方までやって来た。
赤と金色で飾られた客席の群れが、目の前に並んでいる。
絢爛豪華な眺めだ。
碧は、はたと気付いた。
「あれ? そもそも、客席の方に行くには、どうしたらいいんだ?」
暁も、きょとんとした。
「そうだね。階段とか付いてるかな」
体育館なら、ステージの両端に小さなステップが付いている。
そこから降りられるようになっているのだ。
二人は、舞台のぎりぎり間際まで歩を進めた。
けっこう、高さがある。
暁は、下を覗いてみた。碧も倣う。
だが、そこには、予想もしなかったものがあった。
何度目だろう。暁と碧は、顔を見合わせた。
お互いに、今日は驚いた顔ばっかり突き合わせている。
「碧、これって……」
「オーケストラボックス、だよな」
ステージの真下に設けられた、オーケストラが演奏をするための、半地下の空間だ。
そこには、澄んだ水が湛えられていたのだ。
あたかも、泉のように。
読んで下さって、有難うございます! 以下のサイトあてに感想・評価・スキなどをお寄せ頂けましたら、とても嬉しいです。
↓ロゴ画像から各サイトの著者ページへと移動します↓
ランキングサイトにも参加しています。
クリックすると応援になります。どうぞよろしくお願いします↓