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7.血塗れの貴婦人(1)
『バックサテンシャンタンは、Dの部屋に収納されています』
宙に浮かんだピエロのお面が、上から案内した。こいつは、移動に何の困難もない。
「もう少し休んでる?」
暁は、碧と陽を心配そうに見遣った。
座り込んでいた二人は、揃って首を振ると、立ち上がった。
よかった、大丈夫そうだ。
ここは、棟の端っこに位置している。
三人は、揃って外廊下を歩き出した。
地下28階も、地下1階と比べて、特にデザインは変わらない。
ちょろちょろ
マダム・チュウ+999が、先頭に躍り出た。
四足歩行に切り替えると、ただのネズミに見える。
真っピンクの体毛と、バサバサの睫毛と、オネエな口調を除いてだが。
「いい? 各階には、それぞれ五つ部屋があるの。西棟は、A・B・C・D・E。東棟は、F・G・H・I・Jの部屋よん。アルファベットが、入り口に表示されてるわ」
「あ、これ?」
暁が、白い壁に付いた黄金細工を指さした。
すぐ横は、ぽっかりとアーチ型にくり抜かれた入り口になってている。
なぜか、ドアが付いていない。
「ええと……A、かな?」
首を捻りながら、碧が推理した。
ごてごてに飾り立てられている。ほとんど原形を留めていない。
『はい、こちらはAの部屋になります。Dの部屋は、この3つ先です』
「3つ先だね! わかった!」
暁が、楽し気に返事すると、いきなり加速した。高速スキップだ。
「ちょっと、暁、待って」
碧が、目を三角にして注意した。
「廊下は走らない!」
「非常時以外は、だぞ~」
陽が、のんびりと付け加えた。
「B……C……」
部屋は、アルファベット順に並んでいた。
どれも同じだ。装飾過多の表札に、くり抜かれた入り口。
「D、ここだね」
真っ先に、暁が入り口をくぐった。
残りの面々も、ぞろぞろと室内に入る。
「うわ、広いなあ」
陽が、素直な感想を口にした。
異様なほど、びよんと横に長い部屋だ。
入って正面に、ずらりと棚が並んでいる。
左右の壁面は、はるか彼方にあった。
いや、その手前に、なにか浮いている。
「ライオンさんだ」
暁が、声を上げた。
ライオンの、顔だけが浮かんでいるのだ。
右にも、左にもだ。
暁が駆け寄った。そして、また叫んだ。
「あ! ここ、壁があるよ! 碧、陽も来て、触ってみて」
ぺたぺた
パントマイムみたいな仕草だ。
なにもない空間に、壁があるよと信じ込ませるみたいな。
訝しそうだった碧も、近づくと、すぐ合点した。
陽も、触りながら言う。
「ああ、透明な壁なんだ」
見上げたライオンの顔は、透明な壁に浮き彫りされていたのだ。
そのレリーフだけに、色が付いている。
だから、浮かんで見えたというわけだ。
「ふうん。こっちは、タテガミがあるから、雄ライオンだね」
碧が、みんなに説明する。
入って左側が、ふさふさ髭のオス。
右側は、シャープな顔つきのメスだ。
裏側には、同じ場所に、同じ顔が付いていた。
いずれも、本物と見紛うリアルな彩色だ。
表裏両方に顔を持つ、ライオンの生首に見える。
「そうか……。ABCDEの部屋が、全部繋がってるみたいに見えるんだけど、実際には、透明な壁で間仕切りされているんだ」
碧が、考え込んだ。
確かに、これだと見晴らしがいい。
隣りの部屋に人がいたとしても、一目瞭然だ。
でも、一体、なんのために?
「見張りかな」
碧は、浮かんだライオンを見上げて言った。
「このライオンが?」
陽には、すぐ通じた。
わざと、右や左に動く。確認しているのだ。
陽の真似をして、暁も、うろちょろした。
「あ、ほんとだ、見てるね!」
ライオンの目は、ずっと追ってきた。
どこに行っても、こっちを見つめている。
「あらん、それは、だまし絵よん。目の部分だけ、そう見えるように描いてあるの」
マダム・チュウ+999の声がした。
いつの間にか、棚の上に登って、子ども達を見下ろしている。
「なあんだ」
陽と暁は、声を合わせて言うと、笑い出した。
「トリックアートだったんだね、碧」
「この部屋を見張ってるのかと思ったんだ」
碧が、口をへの字にした。
悔しそうだが恥ずかし気な、複雑極まりない顔だ。
「見張っているのは貴婦人よ」
ピンク色のネズミは、さらりと言うと、棚から飛び降りた。
しゅたっと着地すると、脇からメモ帳を取り出す。
ラッコが石を取り出すみたいだ。
「さ、布を取りましょ」
棚に向き合う。
だが、子ども達は、一発で途方に暮れた。
この中から探すのかあ……。
棚の上から下まで、びっしりだ。
板に巻かれた布地は、色の系統ごとに積まれていた。
微妙に違う色調が、グラデーションになって美しい。
気を取り直して、碧が尋ねた。
「何色なんだ? マダム・チュウ+999」
近づいて見ると、芯になっている板には、色の名前が書いてあった。
しかも、複数言語で表記されている。カタカナと漢字も並んでいた。
これなら、なんとかなりそうだ。
だいたいの色調を推定して、その辺りを調べればいい。
マダム・チュウ+999が、メモ帳を開いて読み上げた。
「バックサテンシャンタンは……ローズ・」
棚の前で物色していた暁が、いきなり反物を引っ張り出した。
「あった!」
〔ローズ〕と書いてある。ピンク系の布だ。
その時。
しゃっ
鋭い音がした。
何かが、蛇が威嚇しているみたいに鎌首をもたげて、背後から躍り出た。
緑色の、細長い、何か……。
蔓だ!
しゃしゃしゃしゃしゃっ……
続けざまだった。
何本も何本も、暁を目掛けて、一斉に襲い掛かっていく。
緑色の投網だ。
たちまち、獲物に覆い被さると、ひときわ太い蔓が、暁の体に巻き付いた。
「っー!」
悲鳴を上げる余裕もない。
自由を奪われ、持ち上げられた暁が、あっという間に運ばれて行く。
くり抜かれた出口から、蔓の群れは、ごそっと引っ込んだ。
早回しみたいなスピードだ。
ごとん
反物が、床に落ちた。
暁の姿は、ない。蔓の大群も。
一本だけ、細い蔓が、まだいた。
放り出された反物を持ち上げると、丁寧に、くちゃくちゃになった布地を直す。
きちんと、元の棚に戻した。
しゅる しゅる……
静まり返った部屋に、残務処理班が退場していく音が響く。
ようやく、ここに至って、残された二人が我に返った。
あれよあれよという間に、全てが終わっていたのだ。
「暁!」
血相を変えて、陽が部屋から駆け出した。
碧も、後を追って外廊下に飛び出して行く。
なんて匂いだ!
碧は、鼻を押さえた。
頭がガンガンする。
バラが、ダンジョン全体に芳香を放っていた。
ここまでくると、いい香りだなんて言ってられない。攻撃力を生み出すレベルだ。
それもそのはず。深紅のバラが、緑の海面を埋め尽くして揺れていた。
一気に増えていた。
緑色の蔓が、建物に挟まれた岩底で、うねうねと波を立てている。
「あそこだ!」
陽が、欄干から身を乗り出して、指さした。
ぐるぐる巻きにされた暁が、貴婦人像の大きな手のひらに乗せられている。
捧げられた生贄みたいに。
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