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7.落下(2)
実際には、そう長くなかったのかもしれない。
だが、子どもたちは、既に一生分の悲鳴を上げ尽くした気分だった。
ただし、陽は除外だ。最初だけ、うおっと呻いたものの、それでお終いだ。
箱は、今、ゆっくりと降下していた。
いつのまにか、室内の明かりも復活している。
だが、外は真っ暗だ。何も見えない。
『まもなく最下層に到着します。安全バーを解除して、お待ちください』
「なんか……すごかったね」
暁も、溜息混じりに呟いた。
いきなりの絶叫アトラクション状態だった。
心臓に疾患があったら、絶対に止まってる。
桃は、声も出ない様子だ。無理もない。
遊園地のコーヒーカップですら、回さない約束で、ようやく乗ったくらいなのだから。
「桃ちゃん、大丈夫? もう終わったよ」
暁が、じたばたと身を捩った。
クッション式安全バーで、壁に縫い付けられたままだ。
「えっと、これ、どうやって解除するの?」
碧も試みようとして、ようやく気が付いた。
視界がぼやけて、よく見えない。
「あれ? 俺の眼鏡は?」
「ここよ」
胸元から聞こえた。
語尾にハートマークが付いていそうな、オネエ声だ。
じーっ
着ているパーカーのファスナーが、開いた。
内側からだ。
ぴょこんと、眼鏡を両手で抱えたマダム・チュウ+999が出て来る。
「はい! ど・う・ぞ!」
「なんでそんなとこにいるんだよ!!!」
碧は、毛を逆立てて威嚇する猫さながらだ。
「あらん。眼鏡が吹っ飛んじゃったら、困るのは碧でしょ。感謝して頂戴」
悠然たる態度で、マダム・チュウ+999は、ひょいっと眼鏡を碧に掛けた。
そのまま、ちょろちょろと肩に乗ってくる。ピンク色の体が、びろんと縦に伸びた。
二足立ちして、壁を押したのだ。
がっしょん がっしょん
音を立てて、安全バーが外れた。
U字型のクッションを、あっさりと持ち上げる。やはり怪力ネズミだ。
「……ありがと」
碧は、眼鏡の位置を変えながら、小さく言った。ちゃんとお礼は述べる碧である。
だが、耳が真っ赤だ。
ああ。嫌なものまで、くっきりと見える。
オネエネズミの満足げな表情とかが。
次々に、マダム・チュウ+999は、安全バーを解除していった。
お礼もそこそこに、暁が桃の傍に駆け寄った。
よほど怖かったらしい。床にへたりこんだ桃の目には、涙が滲んでいた。
これが一般的な反応だろう。
兄の方は、けろりとしていた。
「ありがとう、マダム・チュウ+999」
笑顔で礼を述べる。
どんなときでもジェントルマンだ。
これでも平気なのかよ。
陽をよく知る碧ですら、ドン引きした。
後ろ向きで立ったまま三回転するジェットコースターから降りた直後に、タップダンスを踊れと言われても、できる奴はいる。
それは、こいつだ。
陽は、すたすたと近づくと、妹を抱き上げた。
ゆっくりと揺すりながら、ぽんぽんと肩を叩いてやる。
桃は、ぎゅっと目を閉じて震えていた。
そりゃそうだろう。「コーヒーカップ回転なし」からでは、いきなりハードルが高すぎる。
「碧は大丈夫かあ?」
「俺は大丈夫だよ」
心配して取り囲んだ面々にも、声をかける余裕がある兄貴だ。
「暁も、」
「うわあ!」
陽を途中で遮って、暁が素早く動いた。
壁際に突進して行く。
「あいつは大丈夫だ」
碧が代わりに保証した。
いきなり、視界が開けたのだ。まるでトンネルから出たように。
信じられない光景だった。
ここは地下の筈だ。
眼下に広がっていたのは、湖だった。
乗っているのが透明な箱だから、360度、上空から見渡せる。
広い。
「地底湖、か……」
碧が呆然とつぶやいた。
「桃、見れるかあ?」
無理に決まっている。陽に抱っこされた桃は、目をつむったまま、ふるふる首を振った。
『ここは、ガルニエ宮の真下に位置します。巨大な岩石の下に広がった空間です』
ぽっかりと空いた、広大な穴だ。
その底に、豊かな水が湛えられている。
『上部や壁面から地下水が流れ込み、現在の姿になりました』
青い。水が作り出す、透明な青さだ。
「すっごいね! 綺麗だね!」
暁が振り返った。勢い込んで言う。
いつのまにか、肩にマダム・チュウ+999が乗っていた。
ちょいちょい、暁の髪を引っ張って指摘する。
「暁ったら、おでこが真っ赤よん」
「あ……」
暁が、間抜けな声を上げた。
壁に押し付け過ぎだ。
短い髪は、急落下のせいで、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
碧と陽も、思わず笑ってしまった。
文句なしの美少女のくせに、少しも自覚がない。自分まで笑っている。
ごごごごご……
さっきから、床が小刻みに振動していた。
轟音は、下から伝わってくる。
透明な足元から、白い水泡が勢いよく動いているのが見えた。
「これって、水?」
碧が問いかけた。
案内板の音声が、室内に流れる。
『はい。湖から湧き上がっています。現在、このエレベーターは、湖面から立ち上る水の柱に乗っかっている状態です』
外から見れたなら、絶景に息を呑んだことだろう。
湖面から、にょっきり、水の巨木が生えていた。
その、ぶっとい幹に乗っけられて、透明な箱が降下していく。
やさしく、危なくないように。水の巨木は、徐々に丈を短くしているのだ。
「ね、向こうに島があるよ」
暁が、指さした。
本当だ。楕円の形をした小島が、ぽつんと浮かんでいる。
色は真っ白だ。青い湖面に映えている。
なんて綺麗なんだろう。
どんどん、湖面が近づいて来る。
それにつれて、水音が一層激しく聞こえ出した。
丈が低くなったぶん、水の幹が太くなっているのだ。
ずざあああ……
やがて、水の柱は、エレベーターの箱を下から包み込み始めた。
透明な壁にも、水が這い上がってくる。
瞬く間に、視界がゼロになった。
ひんやりと湿った空気が、室内に立ちこめる。水の匂いがした。
滝の中にでも放り込まれたみたいだ。
ざんっ!
上から一気に、水が引いた。
ごとり
エレベーターは、静かに降ろされた。
『到着致しました。嘆きの湖です』
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