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7.オーケストラボックスの泉(2)
冷たい。
反射的に縮こまろうとする体を、暁は無理やり伸ばした。
両手両足で、水を掻き続ける。
これは、あれだ。学校のプールで、最後に浴びるシャワーだ。そのくらい冷たい。
西小学校は、普通の公立小だ。温水シャワーなんて、備えていない。
ただの水道水が、そのまんま降り注ぐ。
人呼んで「地獄のシャワー」だ。
でも、このオーケストラボックスの泉は、学校のプールとは何かが違う。
暁は、違和感の正体に、すぐ気づいた。
そっか、匂いだ。あの独特な塩素の匂いがしないんだ。
海とも違う。潮の香りも、ない。
まるっきり無臭だ。
コップに注いだミネラルウオーターの中に、ぽちゃんと落っこちたみたいに。
すうぅっ
暁は、頭だけ水面に出した状態で、できる限り息を吸い込んだ。
そして、勢いをつけると、思い切り水中に深く潜った。
ゴーグルなんて必要ない。
水の中で開けた裸眼が、逆に綺麗に洗われていく気がする。
音のない、透明な水の世界が、周りに広がっていた。
そっか。浮かんでいるやつだけじゃ、なかったんだ。
暁は、潜水しながら、納得していた。
オーケストラだもんね。弦楽器以外だって、揃ってないと。
残りの楽器は、水漬けになっていたのだ。
何本もの糸で吊るされたように、間隔を開けて、水中に散らばっている。
トランペット、ホルン、トロンボーン。
フルート、クラリネット……。
楽器を沈め隠した泉の胎内を、一糸まとわぬ人魚になった暁が、泳いでいく。
腕や足が水を掻き乱しているのに、楽器達は、ぴくりとも動かない。
まるで凍りついているみたいだ。
暁は、手を伸ばして、水漬けの金管楽器に触れてみた。
キンキンに冷えている。
そして、触っても、やっぱり微動だにしない。
ざっと見た限り、水中にデコレーションされているのは、楽器だけだ。
トウシューズは見当たらない。
底に落っこちているのかも。
暁は、下に視線を落とした。
水底が見えた。底無し沼ではないんだ。
深いけど、学校のプールの二倍くらいかな。
無粋なコンクリートとは違い、白い砂が敷き詰められている。
さながら、美しい海底だ。
だが、一面、砂ばかりだった。
貝殻や海藻、武骨な岩なんかは、混じっていない。
大太鼓とハープが、沈んでいるのが見えた。
水底に、少し傾いて埋まっている。
きらっ
あれ?
何か光った。
ハープの脇だった。
砂の表面から、ちらりと何かが覗いたのだ。
金色で……動いてる?
だが、いいかげん、息が限界だった。
見上げれば、上空には、バイオリンやビオラが茶色い腹を並べて浮かんでいる。
ぐんぐんと水を掻いて、暁は浮上した。
ぷはっ
水面に顔を出すと、首を傾げる。
なんだろ、あれ?
息を吸い込んで、また水中に潜る。
トウシューズは、確かめてからにしよっと。
ハープを目印に近づくと、金色のちらちらは、まだ続いていた。
やっぱりだ。
この白い砂の中に、いる。
何か、生きているものが。
もっと近づきたいのに、浮力が邪魔をした。
何度か沈もうと足掻いたが、体が浮き上がってしまう。
仕切り直しだ。暁は、見切りをつけて、いったん水面に上がった。
泳いで、距離を取った。
水中を斜めに潜っていくほうがいい。
それから、可能な限り息を吸い込んだ。
よし。酸素フル充填だ。
「暁! 見つかったの?」
頭上で、碧が叫んでいる。
返事もせずに、暁は、勢いをつけて体を躍らせた。
迷わずに、力強く水を掻いて進む。
さっきより遥かに、水底に迫って行けた。
大太鼓を通り過ぎる。ハープは、その先だ。
いた。
きらきらの正体が、砂から飛び出していた。
でも、一部分だけだ。うねうねと、金色のモールが動いている。
その先は、砂に潜って見えない。
触れるかな?
暁は、近づきながら、右手を精一杯伸ばした。
碧が見ていたら、目を剥いて止めただろう。
ちょっと待って!
もし危険な生物だったら、どうするの!?
もちろん、暁は、みじんも躊躇していない。
掻く水が、どんどん重たくなる。
もうちょっと!
暁の指が、水底から生えた金色のヒモに、かろうじて触れた。
それが、スイッチだった。
ざああーっ
泉の水が、音を立てて動いた。
いきなり、底の方から、勢いよく水流が突き上げて来たのである。
まるきりジャグジー風呂だ。
しかも超最強モードの!
衝撃をまともに喰らって、暁の体は瞬く間に水面へと運び去られた。
水中に止まっていた楽器も、同様だ。
すごい勢いで、一斉に釣り上げられていく。
きらっ……
暁は気付かない。金色のヒモも、楽器に混じって、水底から踊り上がっていくのに。
「ぷはあっ、はあっ」
水面に顔が出るやいなや、暁は息を吸い込んだ。苦し気な声が漏れる。
「大丈夫、暁?!」
慌てた碧の声が、上から降ってきた。
だが、返事する余裕はない。
ショックで息が切れている。
それでも、沈んじゃうから立ち泳ぎは続行だ。
かなり難易度が高い。
なんとか息が整ってきたとき。
暁は、ようやく気が付いた。
目の前に、それがいた。
金色のドジョウだ。
そして、こう言った。
「ずいぶんと涼しそうな恰好をしたお嬢さんだな。水着は着ない主義なのかい?」
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