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8.嘆きの湖(2)
「まあ、あとで案内板に聞いてみよう」
陽が、あっさり言った。暁も頷く。
「そうだね。忘れ物預かり所とか、あるかもしれないよ」
「地宮にかよ」
死んだ目でツッコむ碧だった。
忘れ物かよ。しかも、バッグまるごとだ。
「俺の連絡帳には、小学一年生からこの方、忘れ物って単語は書かれてないっていうのに……!」
「すごいよね!」
忘れ物キングの暁が、心から褒めた。
「さすが碧だよなあ」
陽も、のんびりと称える。
桃だけが、気の毒そうな顔で慰めた。
「碧、学校じゃないんだから、連絡帳には書かなくていいんだし。この場合は、しかたないと思う。気にしないで」
一番、まっとうなフォローだ。
「待たせたな。終わったぞ。ん、どうした、碧? 顔が黄昏てるぞ」
ド・ジョーの声がした。
いつの間にか、極細ミニサイズの水柱が立ち上っていた。
黄金ドジョウのステージ台である。
「ド・ジョー。ここには、案内板なんて無いよね……」
碧が、絶望的な思いで問い質した。
見渡す限り、湖だ。
鏡なんて、どこにもありゃしない。
エレベーターには、案内板があった。
だけど、たった今、行ってしまったところだ。
「いや、あるぞ」
予想外の答えが返って来た。
「え? あるんだ」
しかし、ド・ジョーの顔が、再び歪んだ。
「だけどな、さっきのを見ただろう。どうにも、水脈が狂っていやがる。これじゃ、起動しねえ」
「水脈? 乗っけたエレベーターが傾いたのも、そのせいだったの?」
暁が首を傾げる。
ド・ジョーが頷いた。
「そうだ。時間が経つにつれて、どうしたって水脈も乱れてくる。だから、時々メンテナンスが必要なのさ。お前さんらには、とっとと帰って欲しいんだが、まずは案内板を直さねえと」
「あらん。この子たちに手伝ってもらえば、いいじゃない」
マダム・チュウ+999は、暁の肩から急滑降した。
小さなカバンから、何か取り出して、配り始める。
「はいは~い。じゃ、一人一本ね」
「なに、これ?」
細長いペンだ。
手渡された物の事よりも先に、碧は尋ねた。
「どうでもいいけどさ、マダム・チュウ+999。そのカバン、なに。なんで、体内ポケットに閉まっておかないわけ?」
ピンク色の、可愛いポシェットだ。
いつから、してるんだ?
「いやあねえ、碧は。分かってないんだから。おしゃれよ、お・しゃ・れ! バッグとかの小物で、差をつけるのよん」
「ふ~ん」
くるくる、渡されたペンを手の甲で回しながら、碧は生返事した。
ほんとに、どうでもいいな。
「前に、バラバラにどっかいっちまって、大騒ぎしたからな。太平洋に落っことした爪楊枝を捜すようなもんだった。だからカバンに入れてんだろ」
ド・ジョーは、身も蓋もない。
「黙れ、固茹で卵野郎」
間髪入れずに、野太い声が返した。
オネエ言葉が抜けたマダム・チュウ+999は、迫力満点である。
バチバチバチ
両者の間に、火花が散った。
「固茹でって。ああ、ハードボイルドか」
なるほど。
意味が理解できた碧は、思わず吹き出した。
「ああ?」
ギロン
水柱の上に立ったドジョウが、碧に殺気を飛ばしてくる。
マダム・チュウ+999も、ご機嫌麗しくない様子だ。
これは、まずい。
「行け! 陽」
碧は、陽の腕を掴んで引き寄せると、自分の盾にした。
「え? よく分からないけど、」
いきなり引き出された陽は、戸惑いながらも口を開いた。
決してお世辞ではなく、いつだって本心から褒める男、三ツ矢陽。
対オネエネズミ最終兵器が、発動した。
「かわいいと思うなあ」
きらきらきら
笑顔がまぶしい。ただし、単なる地顔だ。
「んま~っ!」
いちころである。
マダム・チュウ+999は、目をハート型にして、飛び上がった。
「もう! 陽ったら、正直者ねえ」
一撃で、すっかりご機嫌だ。
「よし!」
陽の後ろで、碧が小さくガッツポーズをした。
「あ。これ、ボタンかな?」
一切の空気を読まずに、暁は渡されたペンをいじくっていた。
言った時には、既にボタンを押してしまっている。
バシュ!!!!
ペン先から、光線が迸った。
「きゃっ」
桃が、悲鳴を上げる。
一緒に暁の手元を覗き込んでいたのだが、止める間もなかった。
「うおっ」
ド・ジョーが、のけぞって躱した。
間一髪だ。
光線は、鋭い音と共に、水の中に消えた。
「あらあら~。人に向けて撃っちゃダメよ、暁。描いてあるでしょ」
ざまあみろ、と聞こえるのは俺だけか?
碧が、慌ててペンを確かめる。
つい、癖で、ペン回しなんてしちゃったぞ。
「ちょっと、マダム・チュウ+999。どこに書いてあるんだよ?」
「ここよ、ここ」
細いペンの軸を、ピンクネズミが指さす。
本当だ。
棒人間のイラストに、それに向かった矢印。
その下に、バツ印が描いてある。
米粒アート状態だ。これで分かれというか。
「本当だ。ごめんね、ド・ジョー」
それでも、暁は素直に謝った。
心から済まながっているのが伝わる。
ハードボイルドなドジョウも、暁には弱い。
「分かったよ。ああもう、とっとと始めるぞ!」
言うなり、ド・ジョーは水中に飛び込んだ。
ぴゅうっ……
ほどなく、向こうで水柱が上がった。
細い。一本だけだ。
でも、勢いよく天井を目指して吹き上がる。
位置は、ほぼ湖の中心だ。
くるくる
今度は、回り出した。
水鉄砲の銃口を、時計回りに回転させているような様子だ。
二本、三本……。どんどん増えていく。
へろへろと回る噴水になった。
地下空間の壁面は、ぐるりと湖を囲んでいる。
中心から噴き出た水は、まんべんなく壁の上部に吹き付けられた。
一斉に壁を伝って、流れ落ちていく。
洗い流しているような塩梅だ。
辺りが、徐々に暗くなった。
怯えて擦り寄る桃に、陽が手を繋いでやって、説明する。
「見えるか? 壁に、小さな石が埋まってる。びっしりだ。それが、光ってたんだ。水が触れたせいなのかな。消えていってる」
「メンテナンスモードにしてるのよ。もうちょっと待っててね~ん」
マダム・チュウ+999が言った直後。
ぱあああっ
上から順に、石が色づいていった。
単なる明かりから、カラーの付いた光へと変わったのだ。
メインは、若々しい緑色だった。
茶色も多い。
そして、黄色味が強い石が、ばらばらと混じる。派手な赤も現れた。
ちらほら、カラーにならず、光りもしないままの小石がある。
だが、近づかない限り、判別しにくい。
ここから見えているのは、陽くらいなものだ。
やがて、壁は全て色づいた。
四人は、ただ声を失って、自分たちを取り囲む壁面を見渡した。
長大な絵画が、描き出されていた。
秋を迎え、赤く色づいていく、紅葉の群れの。
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