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12.みかげ(1)
ピンクネズミの脇から、次々と反物が取り出されていく。
「で、オーガンジーにパワーネットソフト。それから、バックサテンシャンタン」
裁縫部屋の床に、どんどん反物が積み重ねられた。
山が高くなるのに反比例して、ネズミの体が小さく縮んでいく。
冗談みたいな光景だ。
「はい、これで全部よ。どうもありがとう、碧、暁、陽。本当に助かったわん」
マダム・チュウ+999が、改めて礼を述べた。
完全に、元の姿に戻っている。
真っピンクの体毛に、胸元だけ白くハート型を染め抜いた、まつ毛バサバサのオネエネズミだ。
「どういたしまして」
三人が、声を揃えて返事した。
碧の口調だけは、若干やけくそ気味だ。
下手すりゃ、三人仲良く、血塗れの貴婦人の肥料になっていたところなのだ。
そうと知っていたら、絶対にやらなかったのに。
まあ、終わり良ければすべて良しだ。
最後のスプリットも解決し、無事に裁縫部屋へと戻れた。
スポーツバッグも回収できて、しっかりと肩に掛けたから、あとは帰るだけだ。
ひょい
床に吐き出した反物の山を、小さなネズミが片手で担ぎ上げた。軽々だ。
「はっ」
野太い掛け声と共に、大きな机の上に放り投げる。
すととととん、と綺麗に着地した。
「おー」
思わず、三人とも拍手する。
とんだ力持ちだ。そして妙技だ。
マダム・チュウ+999は、ちょろちょろと机に上がると、人間みたいに二足立ちした。
バサバサのまつ毛が、少し伏せられている。
あれ?
碧は意外に感じた。
いつもの陽気で洒脱なオネエネズミの顔じゃない。
真顔で、まっすぐに見据えているのは、部屋の壁の方だ。
「あのねえ、本当に大変だったのよ。あなたからも何か、暁達に言うことはないのかしら? 『あ』から始まる魔法の言葉よ」
ああ、そうか。
そもそも、この御仁からの要望で、調達に駆り出されたんだった。
碧だけでなく、暁と陽も、ようやく思い出した。
三人も一緒に、壁に掛けられている大きな鏡を見遣る。
来たときの状態と、変わらなかった。
目の前の物を映す、普通の鏡じゃない。
真っ黒な鏡面。その中に、ふよふよと、お化けが浮かんでいる。
のっぺらぼうのバレリーナが。
沈黙が、室内に降りた。
のっぺらぼうは、何も言わない。
口はないけど、喋れる筈なのに。
そして、顔が無いから、分からなかった。
果たして、「ありがとう」って感謝してるのかどうかも。
ぷつん
突然、スイッチをオフにしたみたいに、一面、真っ黒になった。
ぱっ
すぐに、鏡面が室内を映し出す。
普通の鏡に戻ってしまったのだ。
結局、のっぺらぼうのバレリーナは、一言もないまま姿を消していた。
ふう……
静かに、小さなネズミが溜息をついた。
気まずい空気が漂う。
それでも、暁は笑顔を作って、こう言った。
「いいよ、マダム・チュウ+999も、大変だったよね。おつかれさま。私たち、もう帰るね」
「分かったわ。みんな、元気でねん」
オネエネズミは、諦めの表情で姿見の方を見やると、三人に向き直った。
陽も、笑顔で別れを告げる。
「うん。マダム・チュウ+999も元気で」
「きゃあーん、陽ったらあ」
あっさり、ネズミの目がハートに変わった。
付いて来ちゃうんじゃないか、こいつ。
ぞっ……
不安に駆られた碧は、早々に尋ねた。
「案内板、アクセスを案内して。ここから、西センターの一階エントランスホールまで」
ものすごい早口だ。
『はい。ご案内致します』
その時だった。
ぱっと、何かが、こっちに飛んできた。
ぼこっ
音がしたと同時に、浮いていた案内板が、ふらふらと下降していく。
「えっ?」
碧が、目を瞬いた。
ぽそり
ピエロのお面は、あえなく落っこちた。
だが、裁縫部屋の床は、オネエネズミ特別仕様だ。コルクチップが、びっちり敷き詰められている。
優れた緩衝材なのが、幸いした。
割れたり欠けたりした様子は、ない。
まったくの不意打ちに、碧は固まっている。
しかし、優れた狩人の目を持つ陽は、しっかりと全容を捉えていた。
すっとしゃがみこむと、床に転がった凶器を拾い上げる。
「これだ。誰かが投げて、案内板に当てた」
なんだろう。
透明の、ひしゃげたヒョウタンもどきだ。
白い糸が、びっしり胴体に巻き付いている。
「糸巻……かな。でも、どうして? いったい誰が」
落ちているお面に目を移して、碧が呆然と問いかける。
「碧、誰かが、私の腕を掴んでる」
いきなり、暁が言った。
陽と碧は、ばっと顔を向けた。
暁は、こわばった表情で左腕を凝視している。
でも、誰の姿も見えない。
その時、マダム・チュウ+999が、声を荒げた。
「ちょっと、いいかげんにしなさい、みかげ!」
「みかげ、ちゃん?」
暁が、首を傾げた。
やっぱり、何も見えない。
掴まれている感触だけがある。
ひんやりしてて、なんだかツルツルだ。
人の手っぽくない。
「まったく、もう! 案内板が壊れちゃったかもしれないじゃないの。アタシ、急いでド・ジョーに知らせてくるわ!」
ぷりぷりしながら、マダム・チュウ+999は机から這い降りた。
大急ぎで、ちょろちょろと部屋を出て行く。
ドジョウ先生は、外廊下の手摺で休息中だ。
すっ
陽が、無言で暁に近づいた。
やっぱりだ。何かがいる気配がする。
陽の顔からは、普段の微笑が消え失せていた。
空手の試合に挑む時の顔つきだ。
右手で、暁の左腕に触れる。
そして、埃を掃うみたいに、ざっと強く滑らせた。
「痛い!」
悲鳴が聞こえた。女の子の声だ。
ゆらり
やっと、三人の目にも見えた。
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