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37.救護(1)
ざあああぁ……
「貴婦人の噴水」だ。
何本ものノズルが貴婦人像を取り囲み、ウエスト目掛けて水流を放出している。
水で出来たスカートだ。
それでも、布とは違う。水流と水流の間は、スカスカだ。
誰かがその中にいたとしたら、すぐに見える。
西センターに駆け付けた救急隊員は、再び問い質した。
「誰も、いないじゃないか」
もう二人、いるんです。
ちょっと待って下さい。
そう言って止めた少年は、じっと水のスカートを見つめている。
この子が、救急車を呼ぶよう、警備員に頼んだのだ。
妹だという小柄な子は、意識が無かった。
既に、救急車の中に運び込まれている。
「この噴水の中にいたんですよ」
横に並んだ警備員は、咎めるように言いつけてきた。
「こんなところで、ふざけてね、妹を溺れさせるなんて、」
「溺れたわけではないよね、妹さん」
隊員は、念のため確認した。
「はい、違います」
うん、いい返事だ。
ぐだぐだ言い返さない。弁解も無しだ。
確かに、浅いプールでも、人間は溺れる。
だが、その疑いは、すぐに排除していた。
妹のドレスは、水に浸かって、びしょびしょというほどではなかったのだ。
でも……なんでドレスなんだ?
ちょっと「おしゃれ」ってわけじゃない。
そうそうお目にかかることのない、ガチの礼装だ。
この男の子も、タキシードだった。
両方とも、子どもが普段する服装じゃない。
結婚披露宴にでも、参列してたんだろうか。
いや、それにしたって変だ。
妹もだった。この兄も、そうだ。
どうして靴を履いていないんだ?
再度、問いかけようとしたとき。
ざあっ!
噴水の水音が、いきなり激しくなった。
「来る……!」
男の子が、目を見開いた。
「えっ?」
消防隊員と警備員は、同時に声をあげていた。
どういうことだ?
さっきの倍。いや、それ以上だ。
ノズルから噴射される水が、激増していた。
野太い水流が、貴婦人のウエストに打ち付けられる。像が折れそうな勢いだ。
「いったい、なんなんだ? ちょ……ちょっと、裏を見てきますよ。なんか異常でもあったのかも」
仏のように福々しい顔を引きつらせて、警備員は駆けて行った。
さぞかし、今日は日報に綴る事項が、てんこ盛りになることだろう。
ぶしゃあ……っ
水が、こっちにまで跳ね返ってくる。
あっという間に、噴水の外側まで、びしょ濡れだ。
これじゃ、水のスカートじゃない。
ただの暴れ回る滝だ。
凄まじい水流を前に、陽は身じろぎもせず、目と耳を凝らしていた。
どさ……
確かに聞こえた。
何かが落っことされる音だ。
ちらり
見えた。
白く砕ける水流の向こうに、黒い布地が。
「来た!」
陽は、叫ぶなり噴水に踏み込んだ。
「おい!」
消防隊員が、慌てて制止する。
だが、説明している余裕なんてない。
陽は、ずかずかと水を掻きわけて進んだ。
タキシードのズボンが濡れようが、どうだっていい。
靴だって、奈落から落ちる長い道中で、吹っ飛んでいた。
ざらざらとしたコンクリートの底面が、直に靴下に当たる。
「碧! 暁!」
陽は、迷わず、貴婦人の荒れ狂うスカートに頭を突っ込んだ。
消防隊員のおじさんは、陽が錯乱でもしたかと疑ったらしい。
職業柄、反応も対応も早い。すぐに後を追ってきて、陽の腕を掴もうとした。
すると。
ざああっ……
水流が、急激に勢いを失っていった。
視界を閉ざしていた分厚い滝が、徐々に薄くなっていく。
狂ったように水を吐き出していたノズルは、気でも変わったのだろうか。再び、しゃわしゃわと優し気に歌い出した。
貴婦人のスカートは、あっという間に元通りだ。細い水の線に戻っている……。
現れた光景に、救急隊員は愕然とした。
女の子だ! 男の子もいる!
なんの手品だ?
さっきまで、噴水内には誰もいなかったぞ?
「着いたぞ! もう大丈夫! 帰れたんだ!」
大柄な男の子は、水中に崩れ落ちている女の子を助け起こした。
声をかけながら、もう片腕で、水に倒れ込んだ男の子を起こそうとしている。
まずい。
両方とも、意識を失っている様子だ。
救助が先だ。謎は、後回し。
救急隊員は、あと2名いることを伝達してから、じゃばじゃば近づいた。
素早く、男の子の方を、噴水から掬い上げる。
ああ、この子もタキシードだ。
そして……やっぱり、靴を履いていない。
浅い水を掻きわけ、噴水の垣根を越えた。
大柄な男の子も、すぐに付いてくる。
言われていないのに、ちゃんと女の子を抱えて来ていた。
うん。やっぱりいいぞ、この子。
「暁?」
そっちが、女の子の名前か。
意識の無い少女を床に下すと、そう呼びかけている。
何故だろう。ひどく驚いた顔で。
確かに、この女の子は、びっくりするような格好をしていた。
ドレスじゃない。これまた絵に描いたようなバレリーナだ。
バレエのレッスンをしてました、なんて程度のレオタードではない。
スカートが、ぼぼーんと張った、豪華な舞台衣装だ。
でも、びしょびしょだ。
長い黒髪も、ほどけて床に広がり、水たまりを作っていた。
ああ、この子も裸足だ。
トウシューズを履いていそうなものだが、ストッキングだけである。
と、腕に抱いた男の子が、細く呻いた。
目を開ける。気付いた!
「碧!」
そう呼ばれた子の顔が、徐々に驚いた表情を形作った。
大柄な男の子の姿を認めると、隊員の腕から出ようと身じろぎする。弱々しい動きだ。
隊員は、逆らわず、慎重に下ろしてやった。
細い体が、ふらついた。
ぺたんとお尻をつかせて、噴水の垣根に凭れ掛けさせてやる。
「……やった、西センターだ。帰れたんだ」
男の子は、確かに、そう呟いた。
帰れた? いったいどこからだ?



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