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7.おしょう
「へえ~、いい部屋だなあ」
ドアを開けた乙尚は、感心して、大きな独り言を漏らした。
国立非制御型獣化症研究所。同敷地内に患者用の住居が設けられており、希望すれば入居できる。
団地様式で、家賃は無料。
職も失い、独身に戻った身としては、渡りに舟だ。
シルキングを手に入れてから、すぐに入居手続きを済ませ、部屋の鍵を貰って来た。
「これなら、すぐ暮らせるなあ」
家具付きなのだ。
ワンルームだが、便所と風呂も付いている。
小さな台所には、ガスコンロ。冷蔵庫まで置いてあった。
昭和40年代の今において、かなり先進的な設備である。
部屋の端には、パイプベッドが置いてあった。
布団は無い。むき出しのマットレスだけだ。
その存在が、どことなく病室っぽい雰囲気を醸し出している。
「それとも、独房かな……」
乙尚は、どさりとベッドに横たわった。
裃姿のまんまだが、まあいいだろう。
結局、他の衣類に変えることはできなかったのだ。
同期したてでは、とうてい無理なんだそうである。
やれやれ……。
手に持った風呂敷を、畳に放り出す。
着ていた背広が包んであるが、もうこれを着ることは無いだろう。
高校を卒業後、医薬品会社に就職。
営業部に配属されて以降、ずっとスーツだった。
勤続10年あまり。
数年前に、上司の紹介で見合い結婚した。
そろそろ身を固めて、一人前になりたまえ。
ずば抜けてはいないが、そつなく仕事をこなす男として評価されていたのだろう。
これからは、子どもを作って、もっと頑張って働きたまえよ。
いやいや、必死にやったとて、給料は同じだろうが。賞与の査定に、ほんの少し色が付く程度だ。
手を抜いても、求められる成果は出せる。
そう、このオレなら。
妻帯してからも、特に態度は改めなかった。
のらりくらりと適当に。
咎められることもない。
変わらない、ぬるま湯の日常。
だが、人生、何が起こるか分からないものだ。
中小企業勤めの身に、突然、海外出張の命令が下ったのだ。
ドイツで行われる展示会に、社運をかけて出品することになったためである。
初めての海外に、乙尚は圧倒された。
違う世界が、広がっていた。
接することなどなかった、様々な人種の男女。
通じない言葉。
そして、見たことも無い街並み。
食べたことのない食事……。
高卒の自分が、あまり役に立ったとは思えなかったが、無我夢中で展示会を終えた。
帰りの航空機で、上司達はこぞって働きを褒めてくれたが、乙尚の心は沈んでいた。
オレって、狭かったんだな。
とんだ井の中の蛙だ。
世界は、こんなに広いのか。
長いフライトの間、うとうとしながら、乙尚は考え続けていた。
誰かの声が聞こえる。頭ん中で、繰り返し響いてる……。
いいのかよ、このままで。
つまんねえ人生だ。
つまんねえ仕事。
つまんねえ暮らし。
つまんねえ。ああ、つまんねえ!
ぽん!
「お、お客様っ!」
スチュワーデスの上ずった声に、はっと顔を上げた。
隣りに座った上司が、シートからずり落ちんばかりに驚いている。
「千里君、きみ、耳が、ネコ耳が!」
頭に手をやる。すると、ふわふわの毛皮が触れた。
これまでの人生で、あれほどまでに注目を浴びたことは無い。
羽田空港に着くなり、救急搬送。
病院に呼び出された妻が、自分に浴びせた言葉は、正直思い出したくない。
「全とっかえ」だ。
自分が持っていたカードは、全て手放した。
神様か誰かが配り直してくれたカードで、新しい人生が始まる。
「あいつも、なるべく早く再婚できるといいな……」
まとまった金を渡せるから、しばらくは暮らしに困らないだろう。
まだ子どもがいなくて、本当に幸いだった。
産みたいんなら、とっとと新しい旦那を見つけたほうがいい。
どうしてだろう。まったく未練が無い。
いや……、本当は分かっている。
離婚することになって、自分の本心が、はっきりと分かった。
愛していなかった。
それどころか、好きにもなれなかった。
「サラリーマンの専業主婦になりたくて、あなたと結婚したのよ」
時折、冗談めかして言っていた。
本音だろうな。気づいていたが、放っておいた。
そこそこ美人だし、ま、いっか。
自分だって、その程度だ。
相手がどんな女であろうと、自分なら上手くやれるだろう。そう、高を括っていた。
違ったな。
結婚とか、恋愛とかは、ダメな相手とは、いつまでたってもダメだ。
火が付かない素材に、いくらマッチを擦っても、燃え上がる時はやって来ない。
ひどい男だよな、オレ。
実は愛してなんかいませんでした。
だからせめて、お金をちゃんと渡して、きちんと離婚したいんだ。
「……な~んて、やっぱひどい男かな」
「誰がです?」
「いや、オレがさ」
反射的に答えてから、乙尚は目をぱちくりさせた。
ちょっと待て。オレは誰と話をしてる?
ベッドから、がばっと身を起こした。
室内を見渡すが、誰もいない。
いや、聞こえて来たのは……オレの服からだ。
乙尚は、まじまじと己の裃を見下ろした。
両胸に、丸い紋が付いている。
それが、まるで眼みたいに、パチパチと動いた。
「あ、どうもはじめまして」
喋った。
「あんた喋れるのか?!」
「はあ、そのようで。私は、」
そこまで言って、とたんに紋の両目が泳いだ。
「私は……いったい誰でしょう?」
「おいおいおい。あんたはシルキングの試作機。0号機さんだよ」
大丈夫かな、こいつ。
「そうですか。なんだか自分が自分ではないような……。私は、ずっと眠っていたのでしょうか?」
「あ~。作られてから、ずいぶん経ってたんだろうな」
多少の機能不足は、しかたがない。お値段相応だ。
ともあれ、こいつが新しい相棒か。
楽しくなりそうだ。
「オレは千里乙尚。おしょうって呼んでくれ。これからよろしくな、ゼロちゃんよ」




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