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19.貴婦人の承認(1)
今日なら、きっと噴水が出てるわ。
このところ、ずっと止まっていたけど。
水不足で「節水」って騒いでいたのも、そろそろ下火になったし。
なにしろ、今日は、子ども祭りがあるもの。
ずうっと待っていた。
用意は、すべて済んでいる。
あとは、「貴婦人の噴水」だけ。
「あら、お出かけするの?」
目ざとく、ママが問いかけてきた。
冷蔵庫から取り出したペットボトルを、トートバッグに入れたからだ。
「うん。西センターの図書館」
ふっと、お昼ご飯の食器を下げる手が止まった。
みるみるうちに、嬉しそうな表情が浮かんでくる。
「ああ、そう、いいじゃない。きっと今なら空いているわよ。お天気だし。あら、でも帰りは寒くなるかもしれないわね。その恰好じゃあ。カーディガンを持っていったら? あのピンクの。ちょうどいいわよ」
弾丸トークだ。返答を挟めない勢いで、矢継ぎ早に話しかけてくる。
分かってる。
並び立てられる言葉には、ママの思いが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれてるって。
あなたのことが心配なのよ。
分かってるけど、重たい。とっても。
「わかった」
正直、カーディガンなんて必要ない。
だけど、部屋に取りに戻ることにした。
そのほうが、面倒くさくない。
家の中で履くスリッパは、きちんと玄関で仕舞うルールだ。
一見、壁みたいに見える収納を開けて、代わりに自分の革靴を取り出す。学校指定のじゃない方だ。
靴ベラを使って履いていると、いそいそとママがやって来た。
「暗くなる前には、帰っていらっしゃいね」
「うん」
「あ、門の鍵は自分でしていってくれる?」
「わかった」
ほんと、施錠は大事よね。こんなことするようになってからは、とみに思う。
「いってらっしゃい」
ママの声は、隠しようもなく弾んでいた。
万歳三唱して、旗でも振りながら見送りたい気分なんだろう。
学校には、今日も行かなかった。
私が外に出かけるだけで、安心するんだろう。
それでも、ママは、怒ったり不機嫌な素振りを見せたりはしない。
ずっと、普段通りに振る舞い続けている。
家の中は綺麗だし、ご飯も、きちんと出てくる。玄関には、生け花を欠かさない。
そういえば、見るのは久しぶりだ。
もう、すっかり秋の趣なのね。
静かな住宅街を歩いて行くと、ほどなく大きな車道に出る。
西センターは、この道路沿いだ。
地下鉄の駅も傍にあるから、学校帰りにも寄れる。
アクセスがいいから、中にある図書館は、小学校の時からの行きつけだ。
ぽーん
軽快なチャイム音と共に、自動ドアが開いた。
玄関ポーチを抜けると、再び内ドアが開く。
エントランスホールは、空いていた。
まだ、学校の時間だものね。
下校時刻を過ぎたら、次々と小学生が駆け付けて来るに違いない。
今のうちだ。誰かに見咎められる前に、早くやらないと。
しゃああ……
涼やかな水音が、ホールに響いている。
やっぱり、噴水は出ていた。
池の中央に佇む貴婦人像は、水でできたスカートを身に纏っている。久しぶりの正装だ。
必要なものは、名札。
それから、紙に取得したい物を書く。
ノートの切れ端なんかじゃダメだ。
必ず、無地の、正方形の紙を使う。
漏れなく書き終えてから、折り畳んで、名札の袋の裏に入れる。
それを、貴婦人の噴水目がけて、投げ入れればいいのだ。
ただし、真っ正面から。
そう、ちょうど、水のスカートの真ん中を通るように。
西センターの電子案内板で、執拗に検索して、ようやく分かったものだ。
「貴婦人の承認」
すぐには出てこなかった。全然関係ないことばかりが、画面に表示される。
「西センター」「貴婦人」「承認」「オーロラ」「バレエ」「案内板」「地宮」……
思いつく限りの単語を、ランダムに組み合わせて検索していたら、偶然ヒットしたのだ。
あのとき。
急に、案内板の画面が、真っ黒に変わった。
壊しちゃったかと慌てたけど、ぼんやりと白い模様が浮かび上がってきたのだ。
『貴婦人の承認について、ご案内致します』
それが白い文字になった。どこか古風な字体で、そう表示されている。
続けて、やり方を書いた文章が、ずらずらと画面に映し出された。
イラストや写真も無い。ただの字だけだ。
不親切すぎる。
音声読み上げすら、されないなんて。
思わず、心の中で不平を並べる。
と、いきなりスタート画面に戻ってしまったのだ。
「え? ちょ、ちょっと……!」
こっちは、何もしていない。
慌てて操作したけど、戻れなかった。
普通なら、前の案内画面に復帰できる筈なのに。
その一回っきり。
あのあと何回か試したけれど、二度と見れなかった。
案内文は、かろうじて読み終えていたけれど、あれで全部だったのかは分からない。
そもそも、本当なのかすらも。
でも、いいわ。やってみよう。
他にやりたいって思うことなんか、今はなんにもないもの。
問題は、名札だった。
下校する時、教室に置いていく規則だから、手元にない。
かろうじて、初等科時代の名札なら、あった。卒業記念に貰った物だ。
さらに、うちの学校の名札は、この辺りの公立校のとは違う。
校章を織り込んだ布に、名前を書き込んで、透明な袋に入れるやつじゃないのだ。
固いプラスチックに、一人ひとりの名前やクラスが、あらかじめ印刷されている。
裏面に付いたクリップで、制服の胸ポケットに止めるものだ。
ダブルで違う。
いったい、どうしたらいいんだろう?
案内文には、例外の場合が一切書いてなかった。本当に不親切だ。
調べようにも、一向に出てこないんだから、しょうがない。
結局、紙をできるだけ小さく折り畳んで、初等科名札のクリップに挟み込むことにした。
まあ、近いだろう。苦肉の策だ。
エントランスホールを、警備員さんが見回っている。
フロアを行ったり来たり。これから始まる戦場に、身構えている様子だ。
簡易ベンチに、大人が数人。
子ども祭りとは関係ない、区出張所の利用者みたい。腰かけて、番号順に呼び出されるのを待っている。
わざわざ、こっちを振り返ったりはしなさそうだ。
ゆっくりと歩きながら、見て取った状況に、ほくそ笑む。
これなら、警備員さん一人だけ、注意すればいいわね。
貴婦人の噴水は、もう、目の前。
用意した名札は、既に掌の中だ。
あ、だめ。
警備員さんが、こっちに歩いて来る。
どうしよう。
いったん、案内板の方に行って、チャンスを伺おうか。
そう思った瞬間。
くるっと、警備員さんが背中を向けた。
方向転換して、自動ドアへ歩いて行く。
今だ!
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