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7.血塗れの貴婦人(2)
「どうしよう、陽?!」
「とにかく、滑り台で降りて、近くまで行ってみる!」
言うなり、陽が駆け出した。
その時、碧の耳に、苦々しい声が届いた。
「だーから言っただろうが。貴婦人の承認が降りてない物に触るなって」
「陽! 戻って、ド・ジョーがいる!」
碧は、素早く止めると、手摺に顔を近づけて叫んだ。
「ド・ジョー! どこー?!」
途端に、目の前で、ぷしゅうっと水が盛り上がった。
水柱の上で、金色のドジョウが悶えている。
「至近距離で喚くんじゃねえ!」
「あ、ごめん。保護色で見えなかった」
「暁~! ローズじゃないのよ。ローズ・ドゥ・パリ! 間違いよ!」
マダム・チュウ+999が、ちょろちょろとやって来た。
手摺に乗っかると、下に向かって叫ぶ。
そうだったのか。見たことも聞いたことも無い名前の色だ。
「ド・ジョー、暁を助けてくれ。どうしたらいいんだ?」
陽が、超特急で戻って来て言った。
地獄で仏と言わんばかりである。
「ったくもう、世話の焼ける」
ぶつぶつこぼすと、水柱に立ったド・ジョーも、下界を見下ろして大声を出した。
「暁! 貴婦人に謝れ! いいか、こう言うんだ。〔間違えました。私が取ろうとしていたのは、ローズ・ドゥ・パリです。ごめんなさい〕ってな!」
ダンジョンの吹き抜けに、よく通る低音の声が響き渡った。
声量も、オペラ歌手顔負けだ。
頭だけ出した暁が、こっちを見上げて、しっかりと頷いた。
碧も陽も、ほっとした。
よかった。びっくりしてるけど、怯えてる様子はない。
貴婦人像の巨大な顔に向かって、掌に囚われた暁は、語り掛けた。
緑色の芋虫状態だ。
「あのね、ごめんなさい。間違っちゃった。私が取りたかったのは、えーと、えーと……ねえ! なんだっけー?!」
「『ローズ・ドゥ・パリ!』」
手摺に揃った一行は、全員で怒鳴った。
宙に浮いている案内板まで、答えている。
「分かった~。ローズ・ドゥ・パリです。ごめんね?」
ピンポン ピンポーン
吹き抜けの空間に、軽快な音が響いた。
それと同時に、蔓バラも動いた。
貴婦人像の顔に這い上がると、ちょうど口の位置に、赤い弧を描いて並んだ。
にっこり
貴婦人が笑顔を浮かべたように見えた。
しゅる しゅる しゅる……
蔓が、暁を持ち上げた。
ぐるぐる巻きにされた体が、宙に浮かぶ。
貴婦人の像から地下28階まで、空中輸送で暁が返却されてきた。
優しく、緑色のお届け物が外廊下に降ろされる。
体に巻き付いた蔓が、しゅるんと解けて去って行った。
「はー、びっくりした」
現れ出た暁が、息をついた。
「ケガはないか、暁?」
尋ねた陽に、こくんと頷く。
「もー。びっくりしたのは、こっちだよ。お話は、きちんと最後まで聞かないと駄目だって、いつも言われてるだろ」
くどくど、碧が言い募る。
いつも言われているからこそ、もう効果がないのだ。暁は、あははと笑っている。
「テストの問題文だってさ、最後まで読まないから間違えるんだよ、暁は。来年は受験なんだぞ。ちゃんと気を付けて、」
「まあまあ、碧」
陽が、割って入った。
このままでは、碧が延々と説教を続けそうだ。
「とにかく、あの像が見張ってるから、注意しなきゃな」
陽は、下界を見下ろして言った。
うねうね動いていた蔓は、もう止まっていた。
赤いバラも、数が減っている。
手摺に立ったド・ジョーが、手の代わりに胸ビレをぶんぶん振った。
「ああ、違う、違う。あれは、ただの像だ」
「えっ、そうなの?」
暁と碧の声が重なる。
陽は、顔にそう書いてある。
にやり
ハードボイルドなドジョウは、片方の目を吊り上げると、ニヒルに笑った。
「〔血まみれの貴婦人〕は、蔓バラの方だ。気をつけろよ。お手付きが許してもらえるのは、三回までだ。逆鱗に触れて、真っ赤なバラの養分になりたくなけりゃ、せいぜい慎重にやるこったな」
さーっ……
三人の顔から、血の気が引いた。
養分ってことは……。
想像したくない。
血塗れの貴婦人。
なんと恐ろしい名だ。
承認した品でなければ、絶対に持ち出しを許さない。
宮殿の収納品を奪う盗人と見なして、容赦なく攻撃してくる。
「これだね。ぜったい」
次は、碧が三回くらい見直した。
両脇で、陽と暁が、こっくりと頷く。
〔ローズ・ドゥ・パリ〕
布地の巻かれた板を、碧が、恐る恐る引きずり出した。
大丈夫。蔓は、やって来ない。正解だ。
ほーっ
三人が、同時に息をついた。
「はーい! じゃ、次行きましょう、次!」
脱力する子供達をよそに、マダム・チュウ+999が陽気に仕切った。
ひょい
小さなネズミが、反物を担ぎ上げる。
何倍もの大きさと重さを、ものともせずにだ。
ぐにっ
そのまま、自分の脇の下に突っ込んだ。
びっくりしている子ども達の前で、マダム・チュウ+999は、首を傾げた。
「あらん、なあに?」
「なあにって、なにしたの、それ?」
代表して、碧が問いかける。
小さなネズミが、いきなり、幼児ほどの大きさに化けていた。
代わりに、体毛のピンクが薄くなっている。
胸元の白いハート型も、拡大されていた。
「ああ、体に蔵ったのよん」
あっさりと、薄ピンク色のネズミが答えた。
バサバサ睫毛に縁どられた瞳で、遠くを見ながら、語り出した。
「実はアタシね、とっても太ってたの。このままじゃいけないわって、一念発起して、ダイエットを成功させたのよ。つらかったわ~。今の美しいアタシは、たゆまぬ努力の成果なわけ」
ネズミのダイエット。
何をするんだろう?
ヒマワリの種を我慢したり、回し車を高速回転させたりするんだろうか。
みんな、てんでに想像した。
「ところが、いざ痩せたら、皮膚が余っちゃってねえ。そこに色々な物が蔵えるようになったわけ。うふん、便利でしょう」
ばっちん
オネエなネズミは、ウインクを寄越した。
ハートの散弾銃が、飛んで来る。主に陽を狙った攻撃だ。
さっと、碧が遮った。
間に立ちはだかると、オネエネズミを無視して、陽と暁に念を押す。
「とにかく、慎重にいこう。三回以上確認してから手に取るんだ。OK?」
「ああ」
「うん、わかった!」
暁が、元気いっぱいにお返事した。
ああ。こいつが一番、信用できない。
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