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8.ド・ジョー(2)
「地球? ここは地球でしょ、って、はくしゅっ、くしゃん!」
暁が、碧より先に尋ねた。
だが、途中から、くしゃみが連続で飛び出す。
「あー。お嬢ちゃんは、そのままでも魅力的だがな。そろそろ服を着た方がいいと思うぜ。風邪をひいちゃいけない」
水柱に立ったド・ジョーは、ほりほりと胸ビレで頭を掻いた。
これでは、いつまでたっても、この女の子は裸ん坊のままだろう。
「はっ」
男の子の方が、声を上げた。
ショックで、すっぽり忘れていたらしい。
「ほら、暁」
慌てて、バッグの上に乗せてあるスポーツタオルを手渡す。
「うん」
女の子は、素直に頷いて受け取った。
ぱっと立ち上がって、裸の体を拭き始める。
非常に大雑把だ。
同じ年ごろか。
ド・ジョーが見たところ、男の子は照れているようだ。
裸の少女を直視しないように、そっぽを向いている。
「これ、服」
差し出すときは、目をつぶっていた。
きちんと畳まれている。クリーニング屋から仕上がってきたのかと見まごうばかりだ。
「ありがと」
対する女の子ときたら、裸の自分を全然気にしていない様子だった。
大らかに礼を言って、着替えを受け取る。
お姫様の風格だ。
だが、男の子は、戸惑ったり、不満を口にするでもなかった。
気にもしていない態度で、黙々と濡れた床を拭き始める。
凶器のモップが、本来の掃除用具に戻った。
とても丁寧な仕事っぷりだ。
……ずいぶんとタイプの違う二人だ。
初対面のドジョウは、そう思った。
「あー。手間かけて悪いな、坊ちゃん」
「碧だよ。私も暁って呼んでね、ド・ジョー」
「おい、いつの間に着た?」
金色のドジョウは、素っ頓狂な声をあげた。
たぶん、自分史上、一番高い声が出たことだろう。
なんという早業だ。
しっかりサンダルも履いた暁が、にこにこと笑いかけている。
ぽたん ぽたん
ただし、短い髪からは、大粒の水が滴り落ちていた。
全然、ちゃんと拭いていない。
「ちょっと、暁、床に垂れてる!」
見かねて、碧がモップを床に置いた。
「え? あ、ごめん」
Tシャツも盛大に濡れているのだが、もちろん暁は気にしていない。
肩に掛けたスポーツタオルは、もうべちゃべちゃだ。
そもそも、水にどっぷり浸かる前提のサイズじゃない。
碧は、さっさと自分のスポーツバッグを開いた。
きちんと畳んだ道着の上に、折り畳んだタオルが仕舞われている。
暁のバッグ内には存在しない、秩序がそこにはあった。
「ほら、これでちゃんと拭いて。そっち、貸して」
ちゃっちゃと指示すると、碧は吸水性を失ったタオルを回収した。
バッグの上に被せて置く。
すぐには乾きそうにもないが、このカオスの中に突っ込むのも、憚られた。
「うん、わかった。ありがと」
暁は、素直に受け取ると、わしゃわしゃと頭を拭いた。
早回しみたいな、超高速脱水だ。
タオルを除けると、ぴょんぴょん飛び跳ねた髪が現れた。
暴風に晒された後の有様だ。
「……やれやれ」
低い呟きが聞こえて、碧は顔を上げた。
水柱に立つ金色ドジョウが、呆れた表情で暁を眺めている。
これほど恵まれた容貌なのに、非常に残念なお嬢さんだ。
そう思っているのだろう。
まあ、暁と知り合った人間は、程無くして、みんな同じ思いを抱くものだ。
碧は、構わずに質問することにした。
「あのさ、ド・ジョー。ここ、ほんとのオペラ座じゃないよね」
ようやく、頭も回転し出していた。
そろそろ説明して欲しい。
碧は、ステージの際まで進んで、下を指さした。
「オーケストラボックスが、こんな泉になってるわけないし、」
ド・ジョーを見つめる碧の眼鏡が、きらりと光った。
「しゃべるドジョウだって、いるわけないだろ?」
「あっ、そうだった。オーロラの地球って言ってたよね。なに?」
暁も、ぴょんと碧の隣にやって来た。
好奇心で、目がきらきらしている。
ごもっともな推測と質問だ。
目の前に揃った二人の子どもに、ド・ジョーは頷いて見せた。
「その通りだ。ここは、お前さん達の世界にあるオペラ座じゃない」
「じゃあ、なに?」
と、暁。
「おう。なんだと思う?」
「う~ん。夢の世界とか?」
ド・ジョーは、水柱の上で、またもや片目だけを吊り上げた。
「ほお、当たりだぜ。どうしてそう思った?」
「しゃべるドジョウがいるから!」
あはははは
底抜けに明るく笑う暁に、碧も釣られて笑ってしまった。
ド・ジョーも苦笑を浮かべる。
それはそうだ。自分の存在が、この世界特有のものであることは、間違いない。
「ちきゅう、ってのは、惑星の意味じゃねえ。地下の宮殿と書く」
金色のドジョウは、ヒゲを蠢かして、重々しく言った。
「すなわち、地宮、だ。ここは、地下の奥深く、人間の夢が作り出した世界の一つだ」