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9.地宮(1)
ひょい
ド・ジョーは、胸ビレを動かした。
びよーん
泉から、水の帯が伸び上がった。
金色ドジョウの手招きに応えたのだ。
飴細工みたいに引き伸ばされた水は、根元で刈り取られた。
ぶつり
そして、帯状だった水が、カクカク固まり始める。
あっという間だった。
暁と碧の目の前に、大きな水槽が浮かんでいた。
すべて、ド・ジョーが操っているのだ。
「古今東西、人間ってヤツはな、夢を見るもんだろう?」
小さな魚体が、喋る。驚くほど低い声で。
すると。
ぷくり
水槽の中に、丸い水泡が生まれた。
「生きている限り、沢山の人間が、夢を見ちゃあ、それを吐き出している。呼吸と同じだ。人は、特に意識しないで、そうしながら生きていく」
ぷくぷく
ぷくぷく
小さな水泡が、連続して立ち上った。
「ところが、夢ってのはな、同じものは、くっついて、より大きくなるんだ。似たものは、数珠のように繋がって、どんどん長くなっていく。そういう性質なのさ」
なるほど。
水槽の水泡は、まさに、そう動いた。
もう、びちびちだ。
大小さまざまな水泡が、水槽の中で、団子になって犇めいている。
「夢は、いつしか巨大なエネルギーを溜め込んでしまう。人間の知らないところで。意図したわけでもないのに。そして、」
ぱちん
ド・ジョーは指を鳴らすみたいに、胸ビレをこすった。
合図の音だ。
ぱーんっ……
中空に浮かぶ水槽が、破裂した。
まるでマジックだ。
「わあっ!」
暁と碧は、歓声を上げた。
水柱のステージに立ったマジシャンは、にやりと笑った。
「幾つもの時空を創り出すのさ」
無数の泡が、一斉にガルニエ宮へと解き放たれていった。
シャボン玉を、一息に吹き出したかのようだ。
天井に下げられた巨大なシャンデリアが、大小の水泡に、七色の煌めきを加える。
紫、青、水色、緑、黄色、オレンジ、赤……。
ふわり
暁と碧の目の前を、ひときわ大きな泡が横切って行った。
「あれ? なんか入ってる」
暁の言う通りだった。
泡の中に、小さな自動車が閉じ込められている。
でも、実物じゃない。幻影のようだ。
水の泡が揺らめくと、同じように揺れている。
また、来た。
今度は、上から、ふわふわ降りてくる。
こっちは、でかいカプセルの薬が中に入っている。
「ほんとだ……」
碧にも、はっきり見えた。
泡は、代わる代わる二人に寄ってきた。
人型のロボット。
レトロな電話機。
飛行機もあった。
かと思いきや、お米の稲穂や、モーモー鳴く牛が入っていたりする。
多種多様だ。
乱舞する泡のショーだ。
なんて数だろう……。
暁も碧も、ひたすら目を奪われた。
「数多の夢は、それぞれ、時空を生み出す。現実の世界とは別の、夢の世界を創造するのさ。それは、古から、人間が気付かぬ場所に存在している。地下深くに。空高くに。雲の中に。山の合間に」
ド・ジョーの渋い声は、詩でも諳んじているように響く。
「人の世界は、喩えるならば、伸び続ける樹木だ。常に新しい花を咲かせ、糧となる果実を、次々に実らせていく」
だからこそ、発展してきたのだ、人は。
「夢の世界は、この樹木の根っこだ。花を咲かせ、果実を実らせる力を、人の世界に与え続けているのさ」
「じゃあ、ここは? なんの夢の世界?」
碧は、目の前に広がる光景を見て尋ねた。
本物そっくりの、豪奢な劇場。
水の張られたオーケストラボックスに、浮かぶ楽器たち。
湧き上がる水柱に立つ、金色のドジョウ。
ふわり
胸ビレに、泡が一つ降り立った。
中には、ピンク色のトウシューズが、一足。
「ここは、バレエの夢が生み出した世界。オーロラの地宮だ」
暁が、指差して叫んだ。
「あー! あった!」
隣に立つ碧も、ようやく初めの目的を思い出した。
そうだった。そもそも、トウシューズを捜して、この泉に潜ったんだった。
なにしろ、その後に起こった出来事が、強烈すぎた。すっぽり失念していた。
「そのトウシューズ、捜してたんだ」
にこにこする暁に、ド・ジョーは意外そうな顔を見せた。
「ポアントを? お前さんが欲しいのか? 暁」
「ううん! 違うよ!」
元気いっぱいに否定する。
「あの子が、ポアントを捜してって言ったの。失くしちゃったみたい」
暁が振り返って、指さした。
舞台中央に、鏡が並べられていた。
こっち向きに、7枚。凹んだ弧を描いて立っている。
真ん中の鏡だけ、鏡面が真っ黒だ。
のっぺらぼうのバレリーナは、まだ、そこにいた。
ふよふよと浮かんでいる。
「っ!」
ド・ジョーが、息を呑んだ。
暁は気付かない。
しゅんっ……!
早回しの映像みたいだった。
まき散らされた泡が、オーケストラボックスの泉へと戻っていく。超高速でだ。
一瞬で、辺りの様子は、元に戻っていた。
もう、一個の泡も浮かんでいない。
「え、なに? どうしたの?」
いきなりのことに、暁が、きょろきょろする。
「ド・ジョー?」
碧が、訝しんで呼びかけた。
金色ドジョウのヒゲが、ピリピリ尖っている。
険しい顔つきだ。