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2.螺旋階段(1)
「碧!」
陽の声がした。
でも、どこにいるんだろう。
予想はしていたが、かなりの人出だ。
今日は、西センター児童館で、子ども祭りが開催される。
毎年恒例、秋の一大イベントだ。
エントランスホールは、そこらじゅう、入場時刻を待っている子供で溢れかえっている。
きょろきょろしている碧に、再び声が掛かった。
「こっちだ、碧」
奥まった、プレイコーナーのところだ。
大柄な男の子が、手を振っていた。
陽だ。
あれ? 引っ付き虫の妹が、いない。
「陽、桃ちゃんは?」
碧は、近寄るなり尋ねた。
滑り台の周りに散らばっているのは、小さな子供ばかりだ。
混じった陽が、さらに大きく見える。
「桃、風邪ひいちゃってさあ。今日の稽古は、お休み。熱あるから、学校も休んでるんだ」
なるほど。この状況は、だからか。
「ねーねー、陽。これ、だれ?」
下から、小さな男の子が見上げてくる。
「こら。人のことを、ゆび指すんじゃない」
未就学児相手に、碧は、きっちり叱った。
隣りで、陽が笑顔で答える。
「ああ、俺の弟だ」
「はとこ、だ」
一字一字、強調点を打つように、碧が訂正を入れる。
はとこ。親同士が、従姉妹の間柄だ。
昨今では、なかなか聞くことの無い続柄である。
「でもそれ、難しいからさあ。まあ、弟みたいなもんだろ」
「大雑把すぎだ」
渋い顔で反論する碧に、幼児は容赦なかった。
「はとこぉ?」
「はとこちゃん?」
「こいつ、女じゃないじゃん」
わらわらと、他のチビも寄って来る。
言いたい放題だ。
引き攣りながら、碧が尋ねた。
「えーと、陽。これみんな知ってる子?」
「えっと、この子は友達の弟だ。他の子は、知らないなあ」
だが、会話の途中で、その子も含めた全員が、あっさり興味を失っていた。
わちゃわちゃと、滑り台に戻って行く。
今は、なによりも、これで遊びたいらしい。
まだ、目新しいんだろう。大人気だ。
このへん一帯は、リニューアル後に出来た設備だった。
壁には、ファンシーなプレートが掲げられている。
〔プレイコーナー〕
※こちらは、小学生以下のお子さんのためのコーナーです
注意書き通りならば、小学生も対象に含まれる。
でも、プレートのイラストも、遊具の設えも、どう見たって幼児向けだった。
この滑り台だって、かなり小さい。
しかも、おもちゃみたいな構造だ。
階段部分は、ジャングルジムになっている。
といっても、三段しかない仕様だ。
難易度は、果てしなく低い。
それを登って、なだらかな斜面を滑り降りる。
滑り板には、プールの筏みたいな代物が付いていた。
空気で膨らませるやつの、もっと頑丈そうなバージョンだ。
ケガをしないように、柔らかな素材を使っているのだろう。
だが、完全なまでに配慮された安全性は、今、脅かされていた。
単純に、利用人数が多すぎるのだ。
幼児達は、滑り降りるやいなや、みんな走って戻ってくる。
無限ループだ。
なんだか、ちびっ子達が、ぐるぐる回るハムスターの群れに見えてきた。
「ちょっと待て。あの子が降りてからな」
柔らかく声を掛けると、陽が天辺にいる子を遮った。
先発の子が着地して退くのを見届けてから、腕の遮断機を上げる。
「はい、いいぞ」
「ねー、もういい?」
「もうちょっと。はい、いいぞ」
碧は、小さく溜息をついた。
知ってる子、一人しかいないんだよな。
いや、陽のことだ。
危ないなあ、と近づいたところに、たまたま友達の弟がいたんだろう。
やれやれ。
こりゃあ、大丈夫だと思うまで、ずっとここで交通整理してるに違いない。
桃ちゃんが付いてないと、これだもんな。
碧は、一計を案じた。
滑り台の利用者数を減らせばいいんだ。
「ねえ、あっちは空いてるよ。みんな、どの動物さんが好き?」
ちびっこハムスター達を、唆してみる。
壁際に沿って、別の遊具が並んでいた。
合皮製の、大きな縫いぐるみだ。
幼児が跨って遊ぶように、スフィンクスのポーズで控えている。
「ゾウさん!」
「ワンワンがいい!」
区のキャラクターのキツネも、ちゃっかり紛れている。
行政的配慮が働いたらしく、位置はセンターだ。
よし、何人か散った。
しかし、いきなり「よーい、どん」されて、焦ったのだろう。
ビリで走っていた小さな女の子が、足をもつれさせて転んでしまった。
陽が、さっと視線を飛ばす。
碧も、一瞬ひやりとした。
泣くか?
だが、この一角には、色とりどりのマットレスが敷き詰められていた。
こけた程度では、そう痛くなかったらしい。
女の子は、一人で起き上がると、目当ての動物に辿り着いた。
「にゃんにゃ」
猫だ。
よかった、笑ってる。
碧と陽は、ほっと顔を見合わせた。
「ねえねえ、陽。いっしょに、すべろうよ」
駄々をこねる声が、下から掛かった。
例の、友達の弟君だ。
お前は、まだいたか。
こいつも、懐いてんなあ。
陽は、屈託なく笑って返事した。
「俺が滑ったら、滑り台が壊れちゃうなあ」
小学6年生の陽は、ぎりぎり設備利用対象者だが、きっと耐荷重でアウトだ。
体格の良さは、中学生といっても余裕で通じる。
その上、運動神経もいい。
小学生が集う勇仁会空手教室でも、別格の強さである。
陽は、男の子を軽々と抱き上げた。
ちょこんと、滑り台の上に置いてやる。
滑り板の天辺でも、陽の腹くらいの高さしかない。
「わあ!」
男の子は、歓声をあげた。
その体を、陽が、少し力を込めて押し出してやる。
危なくない程度のスピードが出た。
楽し気な笑い声が、辺りに響く。
だから、そうゆうことするから懐いちゃうんだって……。
我も我もと、他の幼児も強請る。
駄目だ。これじゃ、きりがない。
頭を抱えたくなる気持ちを押さえて、碧は壁の大画面を指さした。
下に、時刻が表示されている。
「陽、そろそろ稽古始まるよ」
「あ、ほんとだ」
「保護者もいるみたいだし、もう大丈夫なんじゃない」
この子らの親達は、なにか打合せをしていた様子だ。
ちょっと離れた場所で、固まって話していたが、さっきの幼子集団移動に気付いて、散会した。
それぞれ、我が子の元に戻っている。
うん。これで万事解決だ。
「そうだな。ごめん、俺、もう行かなきゃ」
相手が小さな男の子でも、きちんと断る陽である。
床に放置していたスポーツバッグを拾い上げたところに、件の友達の母親がやって来た。
「あら、陽君」
陽は、にこりと笑って、一言だけ。
「じゃあ」
恩着せがましい言動は、一切しない。
惚れ惚れする爽やかさである。
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