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2.白鳥像(2)
ふっと、桃は現実に引き戻された。
誰かが話しかけてきている。
「え~と、」
前に立つ兄が、言い淀んだ。
困った。何か尋ねているが、言葉が分からない。外国から来た人みたいだ。
男女の二人組だった。
女性の方が、指をさしながら、何か言ってる。
ああ、青銅像だ。
著名な芸術家の遺作だそうで、ずっと西センターに飾られている。
白鳥が、四羽。今にも飛び立とうと羽ばたいている作品だ。
「これ、ですか?」
陽は、日本語で応えながら、像に近づいた。
桃も、兄の大きな体に隠れるようにして、ひっついていく。
知らない人と話すのは、ちょっと苦手なのだ。
おじさんの方も、外国語で喋り出した。
白鳥像の載った台座を指して、上下に動かしている。
あ、分かった。
兄妹は、同時に理解した。
台座の石に彫られている、作品名だ。
【飛翔】
「ひしょう、です。ひ・しょう」
とっさに回答できない、情けない兄の代わりに、桃が小さな声で言った。
大きな体の横から、ちょこっと顔を出した少女に、旅行者らしき男女の顔が和む。
「ヒ・ショー」
揃ってリピートした二人に、でこぼこコンビの兄妹は、こくこく頷いた。
「あ、そうだ」
陽が、ようやく思いついた。
銅像の横っちょには、テレビみたいな代物が置かれている。
電子案内板、デジタルサイネージだ。
これを使えばいいんだ。
ええと、確か、こうだったよな。
画面に触れて、ボイスコマンドだ。
「カモン サイネージ」
ぶんっ
真っ黒な画面に、一瞬で画像が現れた。
館内図をバックに、キャラクターのキツネが登場する。
みるみるうちに、顔だけになって、画面の右下に張り付いた。
『ご用件をどうぞ』
よし。こっちでも同じだな。
陽は、簡潔に命じた。
「外国語での案内」
ざっ
たちまち、画面に複数の言語が表示された。
う~ん。「日本語」しか分からない。
「アア!」
どの言語でも、感嘆の声は似たようなものだ。
近づいてきて画面を覗き込んでいた質問者が、揃って声をあげた。
何をしてくれているのか、意図が伝わったらしい。
手が横から伸びてきた。自分の言語にタッチする。
ちゃらん
チャイム音を区切りに、画面表示が切り替わった。
聞いたこともない言葉が、案内板から流れ出す。
旅行者の方々は、会話しながら、自分たちで画面を操作し出した。
そっと、桃が陽の腕を引っ張る。
もう大丈夫そうだ。
「じゃ、失礼します」
陽が、行儀よく挨拶した。
ぺこり、と頭を下げて去る兄妹に、笑顔が向けられる。
口々に、同じ言葉が二人から紡ぎ出された。
知らない単語だ。だけど、伝わった。
きっと「ありがとう」だ。
「あの漢字、よく知ってたなあ、桃」
「碧が教えてくれたじゃない。お兄ちゃんも一緒にいたときに」
「そうかあ? 全然、覚えてなかった。俺、馬鹿だなあ」
「うん」
そのまま、噴水を通り越して、螺旋階段に向かおうとする。
慌てて、桃は兄の腕を掴んだ。
「螺旋階段、やだ。怖い」
「だめか? まだ」
桃は、固い顔で頷いた。
リニューアルして、がらりと変わったのが、この階段だ。
筒状の壁面は、巨大なスクリーンになっていた。
今日も今日とて、「海の生き物シリーズ」の映像が映し出されている。
季節感は、完全無視だ。
秋の日に、常夏の海が広がっている。
桃も、それは楽しくて好きだ。
問題は、付いている階段の板だった。
両端が透明になっていて、下界が丸見えなのだ。
高い所は、怖い。
何度かトライしてみたが、どうしてもダメだった。
上るのも、下るのも。
高さをモロに感じて、足が竦んでしまう。
じっと止まって映像を見ているのが、ぎりぎり精一杯だ。
陽は、文句も言わず、あっさりと進路を変えた。
エレベーターに向かって歩き出す。
正直の上に「馬鹿」が付いてしまう兄だが、いつだって優しい。
大きな手が、指示ボタンを押した。
お山の三角形が、緑色に光る。
「碧、もう来てるかなあ」
のんびりとした口調は、お父さんそっくりだ。
そうだ。
稽古までは、まだ時間がある。
お兄ちゃんより、碧から詳しく話を聞こう。
その方が、絶対に効率的だ。
クラスの人数は、ずっと増えていない。
早めに来ているのは、いつだって自分達と碧だけだ。
暁を含めた残り三人は、ギリギリに飛び込んでくる。
「あ! 桃。俺は無理だったけど、お母さん達には話しちゃダメだって、碧が言ってるからな」
どんな口止めの仕方だ。
呆れ顔で桃が頷いたところで、エレベーターがやってきた。
音を立てて、箱の扉が開く。
上に運ばれながら、桃は遠い目をした。
どんな所なんだろう?
この遥か深い地下に広がる、みんなが知らない世界。
延々と連なる、向かい合った宮殿の階層。
真ん中に生えてる、厳しい蔓バラさん。
バレエの劇場もあるんだって。
行ってみたいな、私も。
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