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8.嘆きの湖(1)
ばったん!
エレベーターが、冗談みたいに開いた。
普通に、入り口がスライドして開いたのではない。
壁が一枚、上に跳ね上がったのだ。
箱を展開するみたいに。
「桃~、降りるぞー」
「よかったね! 無事に着いて」
「おい、走るなよ、暁」
乗客は、ぞろぞろと降りた。
観光バスから降車する団体客のようだ。
まるで緊張感がない。
桃ちゃんは、陽に抱っこされたままだ。
マダム・チュウ+999は、ちゃっかり、碧のフードに飛び込んだ。
慣れというのは恐ろしい。碧も文句を言うのを忘れている。
ぺらり
フィルムのような影が、最後に続いた。
だが、誰も気づかない。
「わあー、広いね」
浮かれた暁が、ぐるぐる回転して、湖を見渡した。
降ろされた場所は、小島だった。湖に浮かんだ、真っ白な石の島だ。
つるつるで、なんにもない。
「祭壇か、ステージみたいだな」
碧も見回して言うと、後ろから陽の注意が飛んだ。
「そこ、溝があるから気をつけろよ」
本当だ。
桃を抱っこしながら、よく目が行き届くものだ。危険を感知する「お兄ちゃんセンサー」は、今日も絶好調である。
ぴょん、と暁が飛び越えた。
幅は、そう広くはない。
だが、深い。水が溜まっている。ちょっとした用水路だ。
そして、直線ではなく、カーブを描いている。
碧は、小島全体を見渡した。
ああ、そうか。
陽達にも、手で指し示しながら伝える。
「見て。この溝、丸の形になってるんだ。エレベーターは、この真ん中に降りてるだろ。着地用の目印なのかも」
楕円形の、白い島。その真ん中に、正確な円形が彫られている。
あれ? 暁が気づいた。
「ここ、さっき上から見た島と同じみたい」
「そうだな。あっちに見えるぞ」
陽が、ハイスペックな視力で、すぐに見つけた。離れて湖面に並ぶ、双子の小島だ。
暁は、島の際まで行くと、膝小僧を着いて、べろりと下を覗き込んだ。
本日も、ジーンズでよかったと思えるポーズである。
すぐ下が湖面だった。
澄んだ水だ。水底に、びっしりと丸い石が敷き詰められているのが見て取れる。
あんまり深くなさそう。
浸かったとしても、太腿くらいまでかな。
「まさかとは思うが、飛び込むなよ」
幼馴染が、後ろで仁王立ちしていた。
エスパー並みに思考を読んでくる。
ぴょこん
碧のフードから、マダム・チュウ+999が飛び出した。
「いやねえ。さすがに、そんなことしないでしょ。碧ったら、疑り深いわねん」
ちょろちょろ、暁の肩に乗っかりながら言う。
「こいつは前科があるんだよ」
ガルニエ宮で、オーケストラの泉にダイブした奴だ。現に、ぶつぶつ言っている。
「サンダルだったら、よかったのになあ~」
「あのなあ……」
呆れ果てた声が、湖面から聞こえて来た。
年寄りのウシガエルより、さらに低い声の主だ。碧には、一人しか思い浮かばない。
いや、一匹しか。
「あ、ド・ジョー! ひさしぶり~」
暁が、呑気に挨拶した。嬉しそうに笑う。
金色のドジョウが、立っていた。
魚のくせに、人間みたいな恰好だ。
トレンチコートとソフト帽まで身に着けている。
ただし、材質は水だ。水を操り、その形にして身に纏わせているのである。
ド・ジョーは、湧き上がらせた水柱の上に立っていた。前と変わらない。
でも、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
「久しぶり~、じゃねえ! もう来るなって言っただろうが。こら、碧!」
ド・ジョーは、いきなり怒声を浴びせてきた。
怒りで、さらに低い声になっている。
「えー。だって、みかげに連れてこられちゃったんだもん。不可抗力だって」
碧が弁明すると、矛先が変わった。
「おい! ネズミの奥さんよ。あんた、止められなかったのか。何やってんだよ!」
「あら~ん、ごめんなさいね。でも、この子たちなら大丈夫よお。きっと」
果てしなく能天気な返事だ。
こいつは、何も考えていやがらない。
「あああ……しかも増えてやがる。その、ちっちゃいお嬢ちゃんは誰だ? なんで抱っこされてる。怪我でもしたのか?」
おろおろする、ハードボイルドなドジョウである。とても珍しい。
陽が、ゆっくりと妹を降ろした。
立たされた桃は、唖然とした顔でド・ジョーを見つめていた。無理もない。
だが、喋るオネエなネズミがいるのである。
同じく、人語を解する金色のドジョウがいたって、おかしくない。
「えっと、こんにちは。大丈夫です」
小さな声で会釈する、三ツ矢桃であった。
三ツ矢家の一員たる者、人の言葉を話す相手には、挨拶をせねばならない。
陽が、のんびりと補足した。
「俺の妹。桃っていうんだ」
「妹なのか。いや、連れてくんなって……」
弱弱しく、ド・ジョーが咎めた。
ばたん!
突然、小島に大きな音がした。
みんな、揃って顔を向ける。
乗って来たエレベーターが、閉じていた。
入口の一枚だけ、かぱっと展開されていたのが、透明な直方体に戻っている。
「しかたねえ。また、あれに乗っても、どうせ現実の世界には帰れねえだろう。とっとと片づけちまうか」
ド・ジョーは、伝法な口調で吐き捨てた。
「いいか。このまま、その端っこにいろよ。こっち来んじゃねえぞ!」
金色の魚体が、跳ねた。
煌めきながら水中に飛び込むと、ぐんぐん泳いで行く。もう、見えない。
ごううう……
湖面も、跳ね出した。
水が、轟音と共に、盛り上がっていく。
あっという間に、ぶっとい水柱の出来上がりだ。
暁達は、耳を塞ぎながら、身を寄せ合った。
すぐ目の前に、水柱が迫って来る。
エレベーターの箱が、柱の天辺に乗っかった。
あり得ないだろう、という動きである。
でも、これがド・ジョーの能力なのだ。
ぐおおおおお……
凄まじい音だ。さぞ重たいだろうに、水柱はそのまま、ぐんぐんと天井に伸びていく。
「ちょっと、これ、大丈夫なの? マダム・チュウ+999!」
碧が怒鳴った。でも、小声にしか聞こえない。
「あらん。ド・ジョーに任せておけば、大丈夫よ~」
軽い調子で、暁の肩に乗ったピンクネズミは、保証した。
隣に立つ碧の耳に、口を寄せて喋る。
仕草が、いちいちオネエだ。
極太の水柱に乗っかったエレベーターは、どんどん上昇していく。
ぐらり
いきなり、水の柱が歪んだ。
高く持ち上げられていた箱が、よろりと傾く。
「危ない!」
陽が叫んだ。
ごおおおおっ
より凄まじい水流が、湖面から沸き立った。
まるで、竜だ。水で出来た細長い体を、エレベーターの箱に絡ませて、一息に上に運んでいく。
遥か上空に、岩の天井が見えた。
真上に、大きな穴が開いている。
がんっ
水竜は、エレベーターの箱を穴に勢いよく叩き込んだ。
そして、自分も一緒に穴の中に姿を消す。
極太水柱も、ぶちりと湖面から切り取られると、穴に吸い込まれていった。
一丁上がりだ。
「お~!」
小島に立っている面々は、大迫力のウオーターショーに、思わず拍手喝采した。
さすがは、ド・ジョーだ。
すると、急に桃が息をのんだ。
なぜか、碧を見つめながら口を開く。
気遣わし気な表情だ。
「バッグ、みんなエレベーターに置いてきちゃった」
「あー!」
地底湖の空間に、碧の叫びが木霊した。
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