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11.コッペリウスの魔法(2)
みかげは、暁の両脇を抱え上げると、鏡の前に掲げた。
生贄を捧げる巫女、さながらだ。
7枚の鏡に、7人の暁が映った。
背後には、黒子のように、みかげも映っている。
それも7人だ。これでいい。
始めよう。
「私がなりたいのは、エトワール」
そう。この衣装のオーロラ姫でさえ、完璧に踊りこなすプリンシパルになりたい。
暁は、ぐったりと首を傾げている。
すんなりとした肢体に、クラシックチュチュが似合っていた。
ぷらんと伸びた足は、床すれすれのところで宙に浮いている。
トウシューズは、履いていない。タイツだけだ。
「私がなりたいのは、この子」
一ノ瀬 暁。
私が見つけた、理想の現し身だ。
みかげは、鏡に向かって言い放った。
「この子に、私の魂を吹き込んで」
今こそ、教わった呪文を唱えるのだ。
「カモン コッペリウス!」
かあ……っ
青白い光が、応えた。
これまでとは違う。光っているのは、鏡の縁飾りではなかった。鏡面そのものだ。
7枚とも、青白い画面に変わっている。
発光する鏡面に、チュチュ姿のバレリーナが映っていた。
背後のみかげは、消えている。
変わったのは、それだけではなかった。
鏡の中のバレリーナは、ポアントをきちんと履いている。
まっすぐに気を付けして、正面を向いていた。
顔が……みかげになっていた。
ぶぶぶ ぶぶぶ
かすかな音が聞こえて来る。
青白い鏡面からだ。
みかげの顔をしたバレリーナは、かすかに揺れていた。
7つの鏡像、みんなだ。
どれも、ぼんやりと歪んでいる。
偽りの自分に囲まれながら、みかげは、前に進んで行った。
暁を捧げ持って、ゆっくり、ゆっくり。
声が、鏡面から溢れ出てくる。
『かわいそう。よくあるよね。自分の生徒にだけ、えこひいきするの』
『ちゃんと公正に審査してくれたら、合格したんじゃない』
『自分の先生を通じて、抗議してみたら?』
小さな声。大きな声。男。女。いろんな声。
『つらかったでしょう。でも諦めないで、別の研究所を受けようよ』
『確かに、よくあることです。でも、あなたが頑張り続ければ、きっといつか認められることでしょう』
うるさい。そんなこと、聞きたいわけじゃないわ、あんた達から。
ぽつり、と鏡から低い声がした。
『それって、逆恨みだよね』
え?
みかげは、右横の鏡を見た。
ぶぶぶぶ
青白い鏡面が、揺れている。と、
くるり
一か所だけ、色が、ひっくり返った。
そこだけ、ぽっかりと黒い。
小さな真四角の穴が空いたような眺めだった。
いや、違う。
黒い面が、ひくひく、蠢いている。
足だ。
黒髪のように細い足が、四角い面に、無数に生えているのだ。
ひくひく ひくひく……
『単に実力が足りなかったんでしょ』
『もし本当に上手かったら、コネなんて関係ない。合格しているはず』
くるり くるり
今度は、左側の鏡だ。二つ、裏返った。
『自己憐憫に浸ってないでさ。諦めるんなら、はやく諦めろよ』
また、右側の鏡面だ。ひとつ、くるり。
『嫌なら、やめたら?』
続けて、もう一つ。
パズルのピースが、次々に、ひっくり返されていく。そんな様相を呈していた。
青白い鏡面は、みるみるうちに虫食いだらけだ。
映っていたバレリーナの像が、ぼこぼこに欠けていく。
「ちがう! 私はちゃんとやったわ!」
みかげは叫んだ。怒りで声が掠れる。
また一歩。暁を掲げたまま、前に進んだ。
でも。
『負け犬の遠吠えってやつ』
『見苦しい』
『聞くだけ無駄』
くるくる くるくる
隣の鏡も、どんどん黒く変わっていく。
その奥も。
しゃかしゃか しゃかしゃか
黒い足の蠢く音が、いつしか、合わさって響いていた。
みかげは、足を止めて、呆然と鏡を見回した。
抱え上げていた暁が、床に着いてしまう。
それにも気づかない。
しゃかしゃか しゃかしゃか
くるくる くるくる
みかげを否定する、聞き取れないほど沢山の声が、鏡から漏れ出す。
声、声、声。
だめだ。どんどん塗り潰されていく。
バレリーナの姿は、もう無い。
次々に、鏡面すべてを、蠢く黒が埋めていく。
わずかに青白く残っていた、正面の鏡まで!
がしゃん!
とうとう、7枚の鏡すべてが、真っ黒になった。
その途端、大きな音と共に、蠢く足は跡形もなく消えていた。
青白い光も、バレリーナもいない。
普通の鏡面に戻っていた。
『コッペリウスの魔法は、失敗しました』
音声が、鏡の右下から流れてきた。
ピエロは、張り付いた笑顔を浮かべて、床に崩れ落ちたみかげを見下ろしている。
いつのまに?
お面には、色が付いていた。
弧を描く、赤い口。
くしゃくしゃした、青い髪飾り。
そして、青い顔。
暁も、みかげの傍らに転がっていた。
張り出したチュチュのスカートが、体の下敷きになっている。くちゃくちゃだ。
「うそ! どうして! これで暁は、私になるんじゃなかったの?」
顔を上げて、みかげは食って掛かった。
そうよ。
そして、花束の宴に出れば。
この子の外見さえあれば、きっと上手くいく。
その筈だったのに。
「信じられない……。こんなことって……」
何も変わらなかった。何も起こらなかった。
足首の枷を見遣る。
もう、おしまいなの?
ずっとこのまま、私はここに囚われているしかないの?
絶望に打ち拉がれるみかげに、その声が降ってきた。
案内板の音声は、こんなだっただろうか。
女にしては、低い。男にしては、高い。
性別の分からない声だ。
『では、「それ」をそのまま、花束の宴に出せばいいでしょう。加羅みかげのエントリーで』
どういうこと?
みかげは、涙に濡れた目で、青いピエロの顔を見た。
声は続く。
尋ねてもいないのに、答えが返って来た。
『操る術があります。「それ」は、オーロラが気に入っています。踊れば、きっと助力することでしょう』
また、教えてくれるのね。私のために。
『花束の宴で認められたなら。「加羅みかげ」の名声は、不朽のものとなるでしょう』
声は、甘く唆す。
媚びるように、優しげに。
みかげは、横で伸びている暁を見た。
でも、この子は生身だ。胡蝶ではない。
役の衣裳が、自分のイメージのまま、具現化されることはないのだ。
それに、「名花の坑道」を通って、劇場に赴くこともできない。
だが。
みかげは、立ち上がっていた。
もう、泣いてはいない。
徐々に、唇の端が上がっていく。
大丈夫。全て解決できるわ。
これさえあれば。
みかげは、青色のお面に問いかけた。
「わかったわ。じゃあ、まず、衣裳部屋へのアクセスを案内して」



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