ダンジョンズA 〔3〕嘆きの湖 (なげきのみずうみ)

7.落下(らっか)(1)

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7.落下らっか(1)

オーケストラの音色(ねいろ)が、()んだ。
浮遊(ふゆう)していた織物(おりもの)も、(すべ)上昇(じょうしょう)し、上空(じょうくう)姿(すがた)()してしまった。
終演(しゅうえん)だ。

(ふたた)び、「(とき)(つつ)」は、がらんどうに(もど)った。
さっきが(にぎ)やかすぎたぶん、なんだか無機質(むきしつ)()える。

指揮(しき)()えたピョートルが、ディスプレイの(なか)から微笑(ほほえ)みかけた。
挫折(ざせつ)(なや)み、(まよ)い。これも、()(かえ)される(ひと)(いとな)みだね。未来(みらい)への()やしにするか、悪臭(あくしゅう)(ただよ)(おも)()だけになってしまうかは、自分(じぶん)次第(しだい)だ』

なかなか(しん)(らつ)だ。
(あかつき)が、(なに)(たず)ねようとして、ディスプレイに()をやる。
と、()(とん)(きょう)(こえ)をあげた。
「ピョートルさん、お(じい)さんだったの?」

びっくりして、(あおい)(たち)画面(がめん)()た。
本当(ほんとう)だ。(はじ)めに(うつ)った青年(せいねん)ではない。
(おな)服装(ふくそう)だが……老齢(ろうれい)紳士(しんし)だ。

『ああ。もうすぐ、(つつ)(すそ)だからね、(わたし)()いた姿(すがた)になる。(すそ)(とう)(ちゃく)したら、今度(こんど)()がって()く。()がるときは(ぎゃく)で、「(ひと)(はり)」は反時計(はんとけい)(まわ)りに回転(かいてん)するのさ。すると、(わたし)は、どんどん若返(わかがえ)っていく。それを永遠(えいえん)()(かえ)しているのだよ』

(とこし)えのピョートル。
(ひと)ではなくなった(もの)()()だ。

「ずうっと、ここに一人(ひとり)でいるの?」
(あかつき)は、心配(しんぱい)そうな(かお)をして(たず)ねた。
(さび)しくないのかな?

『ああ。(わたし)が、自分(じぶん)(のぞ)んだのだからね』
そうして、ピョートルは、(おだ)やかに(かた)(はじ)めた。

人間(にんげん)だったころ、(わたし)(ゆめ)(なか)で、ここに(まよ)いこんだのだ。
オーロラの()(きゅう)
なんと素晴(すば)らしい場所(ばしょ)だろう。まさに楽園(らくえん)だ。
ここならば、時間(じかん)制約(せいやく)()けることもない。
自分(じぶん)(もと)める音楽(おんがく)を、至高(しこう)芸術(げいじゅつ)を、(つく)()げることができる。

いや……(ちが)うかもしれないな。
(わたし)は、ただ、(ゆめ)(とら)われてしまっただけかもしれない。
いいさ、それでも。
ここにいよう。
もう、現実(げんじつ)世界(せかい)には(かえ)るまい。

結局(けっきょく)(わたし)肉体(にくたい)は、その()急激(きゅうげき)衰弱(すいじゃく)して()(いた)ったようだ。

だが、(たましい)は、ここに存在(そんざい)(つづ)けている。

アカツキ。(はじ)めに(きみ)は、ここで(わたし)(なに)をしているかって(たず)ねたね。
(わたし)は、()(さく)(つづ)けているのだ。
(とき)(つつ)(なか)で、(ひと)(はり)()って。
人間(にんげん)」というものを(えが)()す、素晴(すば)らしい調(しら)べを。

にっこり、老紳士(ろうしんし)(わら)いかけた。
『さて。これで、お(しま)いだ。()えて(うれ)しかったよ。(たの)しんでもらえたかな?』

(あかつき)は、満面(まんめん)()みを()かべた。
「うん! どうもありがとう、(とこし)えのピョートルさん」
「ありがとうございました」
みんなも、ディスプレイに()かって、一様(いちよう)にお辞儀(じぎ)をする。

『ああ、よかった。()どもにこそ、()いて、()()しいのだ。(わたし)(つく)った音楽(おんがく)を、そしてバレエを』

あれ? 「(わたし)」の(つく)った音楽(おんがく)って?
(あおい)(たず)ねるより(さき)に、老紳士(ろうしんし)(わか)れの言葉(ことば)()()した。

『ごきげんよう、アカツキ、アオイ、ヨウ、モモ。(あい)すべき()どもたちよ、(わたし)名前(なまえ)(みみ)にしたときは、(つく)()すことの素晴(すば)らしさを、ぜひとも(かんが)えてみておくれ』

肖像画(しょうぞうが)(おとこ)は、優雅(ゆうが)会釈(えしゃく)をして名乗(なの)った。
(わたし)名前(なまえ)は、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーだ』

ぱっ
映像(えいぞう)が、かき()された。
ディスプレイも消滅(しょうめつ)している。
また、(かべ)一面(いちめん)スケスケだ。

「アッデュー、ピョートル! (わか)くっても(しぶ)くっても、どっちも素敵(すてき)よねえ」
マダム・チュウ(プラス)(スリー)(ナイ)()が、ハンカチを()って(わか)れを()しんでいた。

どこから()したんだ? 体内(たいない)ポケットか。
(すが)めた()(なが)めつつ、(あおい)(かれ)名前(なまえ)(なっ)(とく)していた。
なるほどね、だからか。

だが、(あかつき)(ちが)った。(あき)れる発言(はつげん)をかます。
「チャイコフスキーってさ、(だれ)だったっけ?」
そこからか。

(よう)自信(じしん)なさげに()う。
「えっと、(おれ)()いたことはあるけど」
(たし)か、音楽室(おんがくしつ)()ってある(ひと)?」
(もも)(くび)(かし)げた。
()ってある(ひと)は、沢山(たくさん)いるだろ」
ともあれ、一番(いちばん)(ちか)回答(かいとう)だ。

(あおい)は、(ふか)溜息(ためいき)をついた。
作曲家(さっきょくか)だよ。くるみ()人形(にんぎょう)も、(ねむ)りの(もり)美女(びじょ)も、白鳥(はくちょう)(みずうみ)も、全部(ぜんぶ)(かれ)作品(さくひん)

「あ~! そうそう。どっかで()いたことあると(おも)ったんだよね」
(あかつき)、お(まえ)なあ。くるみ()人形(にんぎょう)何度(なんど)()てるだろ。音楽(おんがく)は、すぐ()かったのに」
作曲家(さっきょくか)名前(なまえ)まで(おぼ)えてなかった」
さっくりと返答(へんとう)する。(まった)(わる)びれていない。

(あおい)は、(あたま)(かか)えた。(おも)わず、(こころ)(なか)(あやま)る。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーさん、ごめんなさい。
失礼(しつれい)(やつ)ですが、悪気(わるぎ)()いんです。

『まもなく、「(とき)(つつ)」の(すそ)(とう)(ちゃく)します』
案内板(あんないばん)音声(おんせい)が、(あおい)懺悔(ざんげ)をストップさせた。

透明(とうめい)(はこ)のスピードが、急速(きゅうそく)()ちていく。
やがて、きしんだ(おと)()てて()まった。
到着(とうちゃく)した模様(もよう)だ。

「はいはい! あなたたち、バッグをここに()っかけて頂戴(ちょうだい)(いそ)いでね」
マダム・チュウ+999が、きびきびと()(はたら)(はじ)めた。
透明(とうめい)(かべ)を、背伸(せの)びして次々(つぎつぎ)()していく。

ぴょんぴょん
フックが出現(しゅつげん)した。これも透明(とうめい)だ。

()われるがまま、四人(よんにん)ともバッグを(かた)から()ろして()けた。
がちゃり
()()むと、()()がってロックがかかる。
可動式(かどうしき)(おさ)()きフックだ。

ずいぶん、がっちりとした(つく)りだな。
なんだろう? (いや)予感(よかん)がする。
()(ただ)そうと()(かえ)ると、マダム・チュウ+999は、(わき)体内(たいない)ポケットから大物(おおもの)()していた。
看板(かんばん)だ。(かべ)(かか)げる。

定員(ていいん)(めい)安全(あんぜん)バー装着(そうちゃく)

「ちょっと、なに? 安全(あんぜん)バーって?」
(あおい)()()く。
()って。それは(いま)()すから! (あおい)(あかつき)は、こっちに(なら)んで()って頂戴(ちょうだい)(もも)ちゃんと(よう)は、()かい(がわ)にね」

ぼよん! ぼよん! ぼよん! ぼよん!

ピンクネズミの(からだ)から、(おお)きなクッションが()()された。(よっ)つもだ。
どうりで(おお)きく(ふく)らんでいた(はず)である。

一瞬(いっしゅん)でネズミサイズに(もど)ったマダム・チュウ+999は、クッションを(ひと)(かつ)()げた。
体積(たいせき)からすると物凄(ものすご)怪力(かいりき)である。

さらに、(はや)い。ピンク(いろ)稲妻(いなずま)だ。
()にも()まらぬ(うご)きで、(あおい)(からだ)()(のぼ)った。

(あおい)背丈(せたけ)だと、ここに固定(こてい)ね」
(あおい)(かた)()っかると、()()がって(かべ)()す。

がっしょん がっしょん
今度(こんど)は、透明(とうめい)金具(かなぐ)()てきた。
よく()ると、(かべ)はツルツルではない。
ところどころに、フランケンシュタインのような()()があった。
目当(めあ)ての場所(ばしょ)()すと、収納(しゅうのう)されている仕掛(しか)けが()()るようだ。

ジャンプ!
がちっ
(いっ)挙動(きょどう)で、オネエネズミは金具(かなぐ)にクッションを接続(せつぞく)させた。
(やわ)らかさは()(つぎ)の、U()(かたち)をした(かた)代物(しろもの)だ。(あいだ)(あおい)(くび)()れると、そのまま()ろした。
()ったまま、(あおい)(かべ)()()けた格好(かっこう)だ。

「ちょ、ちょっと?」
あまりの(はや)さに、(あおい)すら静止(せいし)できない。

(つぎ)(あかつき)(よう)(もも)
四人(よんにん)(おな)有様(ありさま)にするのに、いくらもかからなかった。

『これより最下層(さいかそう)までは、直通(ちょくつう)運転(うんてん)となります。途中(とちゅう)(かい)には()まりません。安全(あんぜん)バーの装着(そうちゃく)(すい)(しょう)(いた)します。(いのち)保証(ほしょう)(いた)しません』

最後(さいご)! さらっとなんて()った?!」
同じく(はりつけ)になっている(あかつき)が、(よこ)()いて(あおい)(たし)かめる。
()()(ちが)いじゃない。(あおい)が、これ以上(いじょう)はないほど()きつった(かお)をしている。

(よう)(もも)ちゃん……!」
(あかつき)が、()かいに()二人(ふたり)(はな)しかけようとした(とき)

ぱっ
()かりが()えた。

ギギギギギギ

(なん)(おと)だ?」
薄闇(うすやみ)から、(よう)(こえ)がした。
さすがに(あせ)っている。
『クリップが(ひら)(おと)です』
「クリップって、あの? このエレベーターを(はさ)んでた(おお)きなやつか?」

(ひら)いたら、どうなる?
(おそ)ろしさに、(あおい)(こえ)()ない。
すると、(だれ)かが自分(じぶん)眼鏡(めがね)(はず)した。
(だれ)だ? 薄暗(うすぐら)くて、よく()からない。
それよりも、それどころじゃない。

(あおい)耳元(みみもと)で、マダム・チュウ+999の陽気(ようき)(こえ)がした。
「レッツラゴー!!」

がたん!
予想(よそう)していた(うご)きだった。
だが、(さけ)ばずにはいられなかった。

びゃん、とフックに()けたバッグが、(そろ)って垂直(すいちょく)()()がった。
(はこ)は、()っすぐ落下(らっか)していった。

間仕切り線

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