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7.落下(1)
オーケストラの音色が、止んだ。
浮遊していた織物も、全て上昇し、上空に姿を消してしまった。
終演だ。
再び、「時の筒」は、がらんどうに戻った。
さっきが賑やかすぎたぶん、なんだか無機質に見える。
指揮を終えたピョートルが、ディスプレイの中から微笑みかけた。
『挫折、悩み、迷い。これも、繰り返される人の営みだね。未来への肥やしにするか、悪臭漂う思い出だけになってしまうかは、自分次第だ』
なかなか辛辣だ。
暁が、何か尋ねようとして、ディスプレイに目をやる。
と、素っ頓狂な声をあげた。
「ピョートルさん、お爺さんだったの?」
びっくりして、碧達も画面を見た。
本当だ。初めに映った青年ではない。
同じ服装だが……老齢の紳士だ。
『ああ。もうすぐ、筒の裾だからね、私は老いた姿になる。裾に到着したら、今度は上がって行く。上がるときは逆で、「人の針」は反時計回りに回転するのさ。すると、私は、どんどん若返っていく。それを永遠に繰り返しているのだよ』
永えのピョートル。
人ではなくなった者の呼び名だ。
「ずうっと、ここに一人でいるの?」
暁は、心配そうな顔をして尋ねた。
寂しくないのかな?
『ああ。私が、自分で望んだのだからね』
そうして、ピョートルは、穏やかに語り始めた。
人間だったころ、私は夢の中で、ここに迷いこんだのだ。
オーロラの地宮。
なんと素晴らしい場所だろう。まさに楽園だ。
ここならば、時間の制約を受けることもない。
自分の求める音楽を、至高の芸術を、作り上げることができる。
いや……違うかもしれないな。
私は、ただ、夢に囚われてしまっただけかもしれない。
いいさ、それでも。
ここにいよう。
もう、現実の世界には帰るまい。
結局、私の肉体は、その後、急激に衰弱して死に至ったようだ。
だが、魂は、ここに存在し続けている。
アカツキ。初めに君は、ここで私が何をしているかって尋ねたね。
私は、模索し続けているのだ。
時の筒の中で、人の針に乗って。
「人間」というものを描き出す、素晴らしい調べを。
にっこり、老紳士は笑いかけた。
『さて。これで、お終いだ。会えて嬉しかったよ。楽しんでもらえたかな?』
暁は、満面の笑みを浮かべた。
「うん! どうもありがとう、永えのピョートルさん」
「ありがとうございました」
みんなも、ディスプレイに向かって、一様にお辞儀をする。
『ああ、よかった。子どもにこそ、聞いて、観て欲しいのだ。私の創った音楽を、そしてバレエを』
あれ? 「私」の創った音楽って?
碧が尋ねるより先に、老紳士は別れの言葉を切り出した。
『ごきげんよう、アカツキ、アオイ、ヨウ、モモ。愛すべき子どもたちよ、私の名前を耳にしたときは、創り出すことの素晴らしさを、ぜひとも考えてみておくれ』
肖像画の男は、優雅に会釈をして名乗った。
『私の名前は、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーだ』
ぱっ
映像が、かき消された。
ディスプレイも消滅している。
また、壁は一面スケスケだ。
「アッデュー、ピョートル! 若くっても渋くっても、どっちも素敵よねえ」
マダム・チュウ+999が、ハンカチを振って別れを惜しんでいた。
どこから出したんだ? 体内ポケットか。
眇めた目で眺めつつ、碧は彼の名前に納得していた。
なるほどね、だからか。
だが、暁は違った。呆れる発言をかます。
「チャイコフスキーってさ、誰だったっけ?」
そこからか。
陽も自信なさげに言う。
「えっと、俺も聞いたことはあるけど」
「確か、音楽室に貼ってある人?」
桃が首を傾げた。
「貼ってある人は、沢山いるだろ」
ともあれ、一番近い回答だ。
碧は、深く溜息をついた。
「作曲家だよ。くるみ割り人形も、眠りの森の美女も、白鳥の湖も、全部、彼の作品」
「あ~! そうそう。どっかで聞いたことあると思ったんだよね」
「暁、お前なあ。くるみ割り人形、何度も観てるだろ。音楽は、すぐ分かったのに」
「作曲家の名前まで覚えてなかった」
さっくりと返答する。全く悪びれていない。
碧は、頭を抱えた。思わず、心の中で謝る。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーさん、ごめんなさい。
失礼な奴ですが、悪気は無いんです。
『まもなく、「時の筒」の裾に到着します』
案内板の音声が、碧の懺悔をストップさせた。
透明な箱のスピードが、急速に落ちていく。
やがて、きしんだ音を立てて止まった。
到着した模様だ。
「はいはい! あなたたち、バッグをここに引っかけて頂戴。急いでね」
マダム・チュウ+999が、きびきびと立ち働き始めた。
透明な壁を、背伸びして次々と押していく。
ぴょんぴょん
フックが出現した。これも透明だ。
言われるがまま、四人ともバッグを肩から降ろして掛けた。
がちゃり
押し込むと、跳ね上がってロックがかかる。
可動式の抑え付きフックだ。
ずいぶん、がっちりとした作りだな。
なんだろう? 嫌な予感がする。
問い質そうと振り返ると、マダム・チュウ+999は、脇の体内ポケットから大物を出していた。
看板だ。壁に掲げる。
【定員4名/安全バー装着】
「ちょっと、なに? 安全バーって?」
碧が目を剝く。
「待って。それは今、出すから! 碧と暁は、こっちに並んで立って頂戴。桃ちゃんと陽は、向かい側にね」
ぼよん! ぼよん! ぼよん! ぼよん!
ピンクネズミの体から、大きなクッションが取り出された。四つもだ。
どうりで大きく膨らんでいた筈である。
一瞬でネズミサイズに戻ったマダム・チュウ+999は、クッションを一つ担ぎ上げた。
体積からすると物凄い怪力である。
さらに、速い。ピンク色の稲妻だ。
目にも止まらぬ動きで、碧の体を駆け上った。
「碧の背丈だと、ここに固定ね」
碧の肩に乗っかると、立ち上がって壁を押す。
がっしょん がっしょん
今度は、透明な金具が出てきた。
よく見ると、壁はツルツルではない。
ところどころに、フランケンシュタインのような継ぎ目があった。
目当ての場所を押すと、収納されている仕掛けが出て来るようだ。
ジャンプ!
がちっ
一挙動で、オネエネズミは金具にクッションを接続させた。
柔らかさは二の次の、U字の形をした固い代物だ。間に碧の首を入れると、そのまま下ろした。
立ったまま、碧を壁に縫い付けた格好だ。
「ちょ、ちょっと?」
あまりの速さに、碧すら静止できない。
次に暁、陽、桃。
四人を同じ有様にするのに、いくらもかからなかった。
『これより最下層までは、直通運転となります。途中階には止まりません。安全バーの装着を推奨致します。命の保証は致しません』
「最後! さらっとなんて言った?!」
同じく磔になっている暁が、横を向いて碧に確かめる。
聞き間違いじゃない。碧が、これ以上はないほど引きつった顔をしている。
「陽、桃ちゃん……!」
暁が、向かいに立つ二人に話しかけようとした時。
ぱっ
明かりが消えた。
ギギギギギギ
「何の音だ?」
薄闇から、陽の声がした。
さすがに焦っている。
『クリップが開く音です』
「クリップって、あの? このエレベーターを挟んでた大きなやつか?」
開いたら、どうなる?
恐ろしさに、碧は声も出ない。
すると、誰かが自分の眼鏡を外した。
誰だ? 薄暗くて、よく分からない。
それよりも、それどころじゃない。
碧の耳元で、マダム・チュウ+999の陽気な声がした。
「レッツラゴー!!」
がたん!
予想していた動きだった。
だが、叫ばずにはいられなかった。
びゃん、とフックに掛けたバッグが、揃って垂直に飛び上がった。
箱は、真っすぐ落下していった。
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